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僕が脚本家に興味を持つようになったのは、高校1年の文化祭の、演劇部の芝居がきっかけだった。
その日のうちに僕は、自分の脳に生まれた妄想を、拙いながらプロットという形にしていた。
もともと話を作ることは、嫌いではなかった。
幼稚園の頃、手作りの絵本を皆に見せていた、朧げな記憶もある。

ともあれ、それからの僕は、一ヶ月に一本のペースで話を作り続けた。
どうしても出来ない時は、その話は捨てた。
無理矢理に終わらせても、悪い癖がつくだけだと思ったからだ。
そうして作った作品の中で、一番出来がいいと思ったものは、ドラマ脚本の新人賞に応募した。
もちろん1回や2回で、上手くいくはずは無かった。

けれど、自分に会社勤めが不向きなこと、人付き合いがいい人間では無いことを知っていたから、
僕はこの道しかない人間なんだと、そう思いながら続けてきた。
脚本家にだって色々なしがらみはあるだろうが、できるだけ自分一人で仕事が出来る環境を、僕は求めた。

そうして高3の秋に、応募した話が最終選考に残った。
雑誌の紙面には作品名と名前とが控えめに掲載され、翌日にそれは、クラス中の知るところとなった。
同じクラスのテレビドラマ好きの女子が、その雑誌を買っていて、たまたま目にしたらしかった。
隠すつもりも無かったから、僕は別に否定もしなかった。
作品と見たいとせがまれて、素直に応じもした。

所詮、最終選考に残ったくらいで。
そんなことは僕が一番、感じていた。
僕の通っていた高校はいわゆる進学校で、皆その頃には受験勉強で疲れていたから、何か刺激的な
話題に飛びついた。
そんなところだ。
心の中では脇道に逸れた、周りと違う道に進もうとしている僕に対して、優越感を抱いていたように思う。
面白く思わない人間だって、いただろう。
けれども僕は誰にどう思われようが、何を言われようが、知ったことじゃなかった。
誰かにチヤホヤされたいから、書いている訳じゃない。
そんな青臭い自負が、僕にはあった。


リズム

2.小さな部屋

作者:いちたかさん


バイトの翌日、僕は、お台場にあるテレビ局へと向かった。
伝えられていた時間、午後1時の少し前に。
ここに来るのは、2回目だ。
ADと思しき若い男に連れれらた先は、小さな会議室だった。
僕は窓際の席に腰掛け、ある男を待った。

わずかな窓の隙間で繋がれた外の世界から、飛行機や舟の音、海浜公園を散歩する人々の声が時折、
風に運ばれてくる。
想像していたのと違って、辺りは静かだった。

「やあ、三枝(さえぐさ)くん」

ノックの音がして、僕の名を呼ぶ声が到着した。
細長いメガネをかけた、すらりとした背格好の男が近付いてくる。
北野祐介。
このテレビ局の、若手のプロデューサーだ。

「時間どおりに来てくれてよかった」

僕はちらりと、時間を確認する。

「ちょっと早かったですかね」

「早いに越した事は無いさ」

首から下げた彼の証明証が、太陽を反射してキラリと光った。

「最近の若い子って、平気で遅刻してくる人間が多いから」

そう言うと北野は一度メガネをかけ直して、僕の向かいに腰を下ろした。
発言には賛成だ。
でも僕は、遅刻のしやすさに年齢は関係ないと思う。

「改めて、よろしくお願いします」

「こちらこそ」

自分の作品が新人賞の大賞を受賞し、映像化されると連絡があったのは、2ヶ月ほど前のことだ。
もちろん寝耳に水だったが、それ以上の驚きも、感動も生まれてはこなかった。
新人賞なんてものは脚本家になるためのただの通過点でしかないし、僕の中で大きなウェイトを
占めたくないという自制も働いていた。
だから、来るべき時が来たなと思うくらいだった。
ともあれ、その際に局に呼ばれ、最初に打ち合わせの話をしたのが彼、北野だ。
満場一致で大賞に決まったとか、飛び抜けて出来が良かったとか、その時に言っていたような記憶がある。

けれど僕には、『モンシロチョウの羽』が大賞に見合う作品だとは、どうしても思えなかった。
あの程度で大賞が受賞できるのならば、世の中は今頃脚本家で溢れかえっている。

要は、賞に勢いをつけるため。
それが僕の出した結論だった。
毎回、どの程度の作品でも思い切って大賞にして映像化をする。
他の投稿者たちはいやがおうにも、その作品に注目してしまう。
そして結果として、投稿者たちの意欲を湧かせて、更なる集客効果を生む。
言わば、客寄せパンダならぬ、客寄せモンシロチョウ。

それが僕の、今の立場だ。

「実はもう一人来てる子がいるんだけど、今ちょっと手洗いに行っててね」

彼はそう言って、開けっ放しにしたままの入り口の方を見た。

「どなたです?」

「立花恭子だよ」

北野が目を細めた。
立花恭子とは、『モンシロチョウの羽』の主人公の名だ。
彼の言い回しに僕は、多少の眩暈に当てられた。

その内に、廊下をこちらに向かってくる音が耳に届き始めた。
北野が立ち上がって、入り口の方へ向かう。

「失礼します」

高い元気な女性の声がして、僕は窓の外から目線を戻した。
桜色のロングスカートを揺らした、黒髪の女性が立っていた。

「すみませんでした、北野さん」

僕は彼女を、知っている。
その顔とは昨日、すでに会っていた。

「迷わなかったかい」

北野が僕と彼女の間に、まるで遮るように割って入った。

「実は少し・・・。お待たせしちゃいました?」

「いや、そんなこと無いよ。俺も来たばかりだしね」

(まるで初デートのカップルだな)

僕は心の中で、嫌味を呟いた。
彼らの話し方もそうだが、僕には理解し難い空気だった。

「えっと、あちらは・・・」

彼女の瞳が、窓際の僕を捉える。
僕はそっと、椅子から立ち上がった。

「あっ」

彼女の短い言葉に、会釈を返した。
別にどんな偶然が僕に起ころうと、大して不思議じゃない。

「き、昨日はどうもお世話になりました。えっと・・・」

「脚本の三枝くん。何、君たち知り合いなの?」

頭が混乱しているのか、僕と北野の顔とを交互に見比べる彼女に、北野が助け舟を出した。

「そう、そうなんです」

役者らしい、明るくハキハキしたセリフが部屋に響く。
どうやら彼女は、状況を整理できたらしい。
昨日コピーの取り方を理解した時の声を、僕は思い出した。

「昨日、私コンビニでコピーを取ろうとしたんですけど、やり方が分からなくて」

彼女が恥ずかしそうに笑った。
北野も笑みを浮かべて、彼女の言葉を待っていた。

「店員の佐伯さんに、教えていただいたんです。休憩に入るところだったのに、わざわざ」

「へぇ・・・」

北野はそう言うと、ニヤリとして僕を見る。

「なかなか優しいことするじゃないか」

彼が僕のことを、今までどういう目で見ていたのかは、この際放っておくことにする。

「それが仕事だからやっただけです。そんなに感謝されるほどの事じゃないですよ」

僕は湧き上がる苛立ちを抑えて言った。

「でも、すごく丁寧に教えてくださって、優しい店員さんだなぁって」

「ほら、彼女もこう言ってる」

(くどいな)

僕は人の褒め言葉を、100%信用しない。
惑わされない事は、僕にとって必要な事だからだ。
僕は適当に苦笑いを浮かべて、嵐が去るのを待った。

「北野さん」

廊下からひょいと、声と一緒に疲れた顔の若い男が現れた。
僕をここへ案内した、ADだ。
彼は僕と彼女に気付くと、軽く会釈をして、すぐに北野の方に向き直った。

「大変です。監督がもうお見えになりました」

「うわっ、流石。早いなー」

北野は嬉しい悲鳴とも取れるような声を上げた。
それでも、彼の困ったような表情は、初めて見たような気がする。

「それで今、どこに?」

「今はロビーで煙草を吸ってます」

「そうか。じゃあ後は俺が付くから、すぐに部屋の支度始めちゃって」

北野がテキパキとADに指示を出す。
プロデューサーに必要なものは、人を見る目と、惹きつける力と、何よりも賢さだ。
ADとのやり取りを見ていると、彼はすでにそれらを持ち合わせているように思えた。

「君たちには先に会ってもらおうかな・・・」

顎をさすりながら、北野はふっと自問自答を口にした。
多分、僕たちにプレッシャーを与えるためだ。
別に口にしなくてもいい事をポツリと口にし、聞かせなくてもいい事を自然に聞かせる。
彼の話術の一つなのだろう。

算数が上手いな。
そう思った。

「少しここで待っててくれないかい。今ね、監督を連れてくるから」

北野はそう言うと、小走りで場を後にする。
僕たち2人は、小さな部屋に取り残された。

「そちら、いいですか?」

イスに座った僕を見て、彼女が遠慮がちに言った。
彼女の言葉は、僕と向き合う席を示していた。

「ええ、どうぞ」

僕は間を置かずに答えた。
彼女が僕の向かいに、腰を落ち着ける。
昨日とは違って、程よい化粧が施してあった。
たったそれだけで、印象は随分と変わるものだ。

ふと、彼女と僕の目が合った。

「またお会いできて、嬉しいです。こういう偶然って、あるんですね」

「そうですね」

迷惑な偶然だな。本当はそう思っていた。

初対面ならば、交わす会話が少なかったとしても、それが当たり前だと思えるし、妥協をする事もできる。
まぁ、こんなもんだ、と。
しかし前に一度会っているという事は、それだけで共通の話題を持っている、という事だ。
つまりは疲れてでも、無理矢理にでも話をしなければ、お互いの関係に不自然さが生じてきてしまう。
この煩わしさが、僕が人付き合いを嫌う理由の一つになっていた。

僕は適当な理由をつけて、すぐにでも部屋から出て行こうか迷った。
余計なストレスから、とっとと解放されたかった。

「・・・そうだ、おつりをお返しします」

ポケットに突っ込んだ右手に財布が触れて、僕は彼女に返さなければならないものがある事を思い出した。
どうせ2、3分もすれば北野も戻ってくるだろう。
主演女優様との一時的な付き合いだと、割り切ることにした。

「昨日の、ですか? ちゃんと頂きましたよ。1円ですけど」

彼女が照れたように笑う。
昨日の自分の焦りを、思い出したのだろう。

「そうじゃなくて、コピーのです」

呆然としたような顔になって、彼女は僕をじっと見つめた。
僕は思わず彼女の向こう、壁際にあるアンティークの時計に目を逸らした。
そうして彼女が結論に到達する、数秒を待った。

「もしかして私・・・忘れてました?」

「はい」

僕はテーブルに200円を置いて、そのまま彼女の前まで滑らせる。

「す、すみません。わざわざありがとうございました」

「いえ」

彼女は慌てて銀色の硬貨を手に取ると、バッグから財布を取り出す。

「あの、佐伯さんはいつも、あの時間にいらっしゃるんですか?」

財布にお金をしまい込みながら、彼女がまるで照れ隠しのように言った。
僕は今度こそ携帯電話を取り出して、答える時間を稼いだ。

「そうですね、シフトがありますから」

言いながら、不吉な予感がしていた。
僕は話題を変えることにした。

「監督、誰なんでしょうね。町田さん、ご存知ですか?」

打ち合わせの時も、今日も、北野は監督の名前を口に出さなかった。
決まっていなかったのか、顔合わせの場で知るのが普通なのか、ただ単に隠しているのか、
僕には分からない。

「うーん・・・どなたなんでしょう。私も教えてもらってないんです」

ついでに言えば、この局のディレクターの名前も、一人として僕は知らない。
だから、彼女が名前を挙げられなければ、この話題はここで終わることになるだろう。
それならそれでもいい。
ただ、さっきは僕が話しかけたから、次は彼女の番だ。
別に次が無くたって構いやしないが、そう考える事で、僕はまとわりつく責任感から逃れていた。
少なくとも僕にとってそれは、うっとおしさを無くす事のできる、楽な思考だった。

「あの、ちょっと気になってたんですけど、三枝というのは・・・」

少しの沈黙の後、不意に彼女が身を乗り出して、ぼそりと言った。
なぜ声を潜める必要があったのかは分からないが、聞かれた僕は、答えるだけだ。

「僕のペンネームです。別にどちらで呼んで下さっても結構ですよ」

彼女は僕の言葉を理解すると、にこりと笑った。
明るさを感じさせる笑顔だったが、それ以上でもそれ以下でも無い。
昨日から何度も目にしているそれに、僕は適当に愛想笑いを返した。

「お待たせ」

不意にドアが開いて、北野がひょいと顔を覗かせる。

「ちょっと、びっくりさせるかもしれないけど」

彼の帰参のタイミングは、思っていたよりも早いものだった。
しかし彼に続いて姿を現したのは、思ってもいなかった人間だった。
僕は一瞬、自分の目を疑った。

年輪に応じたシワの刻まれた、浅黒の肌。
蓄えられた顎鬚。切れ味の鋭い、ナタのような眼光。
背はここにいる4人の中で一番低いのだろうが、他を威圧する存在感が、彼を実際より何倍も
大きく見せていた。

柴田隆生。
おそらく日本で、その名を知らない者はほとんどいないだろう。
若い世代でも、映画に興味が無くとも、テレビで一度は耳にしているはずだ。
名作と語り継がれる映画を何本も世に送り出した、往年の名監督。
その男が目の前に、立っていた。

「監督の、柴田隆生さん。まぁ、わざわざ紹介しなくても、ね」

北野が得意げな笑みを浮かべて、言った。
僕は彼が、監督の名を伏せ続けた理由をようやく理解した。
今、この時は若い脚本屋と主演女優を。
そして顔合わせで出演者たちを、『ちょっと』びっくりさせるため。
幼稚としか言いようの無い彼の目論見は、しかし成功したと言えた。
それだけ僕の中で柴田隆生の出現は、意外だった。

「三枝くんの話には、柴田さんが一番合うと思ったから」

眼鏡の奥の北野の目が、細まる。
平常心を甦らせた僕は、もう一度、監督の顔を確認した。
彼も僕を見ていた。
見ていたというより、睨まれているように感じた。

「よろしくお願いします」

僕は丁寧に頭を下げながら、彼の代表作を思う。

彼は作品の中で、徹底的に『情感』にこだわってきた。
郷愁や哀愁を背負う、人間たちの姿。
素朴で力強い生命の営み。人生に対する真摯な姿勢。
その『情感』は『日本人』の琴線に触れ、彼の名は一気に日本中に広まった。
もう30年も昔、まだ日本人が日本人だったと言われる、遠い時代の話だ。

最近の彼がどのような立場にいるかは、辛口がウリと言われる、そこら辺の映画評論家の寸評を聞けば
小学生でも分かるだろう。
前評判は常に高い彼の作品は、しかして資本主義の上での失敗が続いている。

彼の腕が衰えたとは思わない。
ただ、彼の描き出すものを、誰も切実に求めようとしなくなった。
そして彼も、観客のニーズに応えることができなくなった。
それだけのことなのだと思う。

「こちらこそよろしく」

彼は落ち着いた低い声で、それだけ言った。
お互いにそれ以上を求める事も無かった。

「こちらが主演の、町田葉子さんです」

北野に紹介されて、主演女優は驚きの表情を拭えぬまま、丁寧に頭を下げた。
僕の中では昨日の光景とが、完全にダブっていた。

「ああ、よろしく」

柴田はそう言うと、ちらりと北野のほうを見た。

「さて、行くか」

え、と言って、北野が組んだ腕をパッと離した。
柴田の言葉が意味するところは、おそらく、顔合わせの場所に向かうということだろう。

「行くって、もうですか? 幾らなんでもまだ早いですよ」

「なに、こんなところに、若いモンと一緒に閉じ込められるのは敵わんからな」

柴田のアイロニーに、北野が間を置いて苦笑を漏らす。
僕は同感だったので、黙っていた。
確かにこの監督は物書きとしての僕には、合っている人間かもしれない。
そう思いながら僕は、この4人の誰とも2人きりにならない方法を、探し始めていた。








「みんな、これで集まったかな」

テレビで放送される作品というのは、イコール商品だ。
プロデューサー、監督、脚本、演出、美術、音楽、そして役者。
タイムキーパーや照明、メイク、広報など、その他のスタッフたちも含めると、携わる人間は
50人を軽く越える。
物語は脚本家だけのものでは無くなり、役者の演技は、音楽や演出、カメラワークとミックスされる。
それだけの人間の手垢にまみれ、一つの形として洗練されてゆくのだ。
目の前の光景は、その事実を僕に鮮やかに物語っていた。

「それじゃあ、顔合わせを始めようか」

北野がマイクを持って立ち上がったのを見て、部屋の中の話し声がピタリと止まった。
顔合わせの会場は、窓からの見晴らしのいい、無機質な会議室だった。
本来なら撮影所を利用する場合が多いのだが、スケジュールの都合がつかなかったらしい。
ロの字型にテーブルが組まれていて、僕は入って一番奥、いわゆる上座に、北野と並んで腰掛けた。

(今のうちに言い訳でも考えておくか)

自己紹介の後は撮影のスケジュールを説明して、それぞれの役割に分かれ打ち合わせを始める。
その中で親睦を兼ねて夕食を一緒に、なんていう面倒臭い事も、もしかしたらあるのかもしれない。
はっきり言って、御免だ。
僕は時間を確認してから、左から右へ、向かい合う顔ぶれをぼんやりと眺めた。
役者たちの中には、当然のことながら町田葉子の姿もあった。

「プロデューサーの北野です。・・・うーん、皆ちょっと顔が硬いなぁ」

ふわりと、部屋を包む空気が軽くなったような気がした。
これがプロデューサーの、というより彼の言葉の力なのだろうか。

「上手くいかないこともあるだろうけど、これから一ヶ月、宜しく頼むよ」

スーツの襟を正し、北野が腰を下ろした。
間髪入れず、隣りに座っている強面の男が立ち上がる。

「・・・監督の柴田だ。撮影に関しては一切妥協はしないからそのつもりで」

それだけ言うと、彼は役者全員の顔を見回し、最後に僕を横目で見て、腰を下ろした。
マイクを手渡そうとした手が空を切り、北野は苦笑いを浮かべる。
けれど、苦笑いの理由は多分、それだけじゃない。
自分が折角柔らかくした雰囲気は、柴田の言葉で一辺に張り詰めたものに戻ってしまっていた。

「それじゃあ次に、企画の竹内さん。お願いします。このまま時計回りでいきましょう」

北野はそう言って席を立ち、メガネをかけた、いかにもやり手といった風の女性へ、マイクを手渡す。
僕は目の前にある資料、誰がどの役でどのスタッフか、が書いてある冊子をパラパラと眺めた。
自己紹介には、まるきり興味がなかった。
聞いているフリにも飽きてきたから、僕は一とおり目を通すことにした。

北野もそうだが、このドラマのスタッフをはじめ役者たちも、若く世に知られていない人間が多い。
この仕事に関して、局から全てを任されている北野が行った人選だ。
彼は、新しい力を求めていた。
有名な役者、名の知れたスタッフを使わずに、新しい世代でひとつの作品を作る。
彼が打ち合わせの席で、最初に僕に語った抱負だ。

ただ、脇を固める役には女性に人気のある若手俳優の姿も、しっかりとあった。
主人公の父親役ということで、有名な役者も友情出演という形で出演する。
そして忘れてはいけない、この作品を監督する男の存在。
要はそれぐらいの事はしておかなければ、先ず視聴者に関心を持ってもらうこともできない、という事だ。

「・・・一生懸命頑張りますので、よろしくお願いします」

右の側、すぐ近くからそんな声が聞こえた。
町田葉子の隣りに座る、友人役の女性のものだった。
彼女からマイクを受け取った主役は、ゆっくりと立ち上がる。

「立花恭子を演じさせて頂きます、町田葉子です。初めてなので分からない事ばかりなんですけど、
 皆さんと一緒に最後まで頑張っていきたいと思います。よろしくお願いします」

全体を見渡しながら、一つ一つ、彼女は言葉を紡いだ。
その声だけは、最初から最後まできちんと耳に届いた。
当然だ。次は最後、僕の番なのだから。集中していなければ仕方ない。
最後に彼女は微笑みを浮かべて、僕にマイクをそっと手渡した。

視聴者の反応に一喜一憂する世界。
面白いか面白くないかではなく、売れるか売れないかが大切な現実。
それがこの光景が鮮やかに物語る、自分の選んだ道だ。
ただ僕は、そんなことはどうでもいいからこの顔合わせの場が、早く終わって欲しかった。
誰の名前だろうと、どんな顔だろうと、僕の印象にも記憶にも、残したいとは思わない。

「脚本の三枝です。よろしくお願いします」

最初に観た演劇部の芝居の内容も、高校生の時に自分が書いた話も、もうほとんど忘れてしまった。
ただあの時、クラスメイトに脚本家を目指していることを知られた時の。
初めて他人の感想を聞いたときの気持ちだけは、忘れられていない。






第3話に続く



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