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「悲しいことがたくさんあって、負けちゃいそうになったとき、
 静かにその手を、あててごらん。

 トクン、トクン、トクン、トクン。
 一生懸命、生きてるよ。

 トクン、トクン。トクン、トクン。
 ほら、あなたのリズムが、そこにある」 ―――――――――


( 松嶋 容子 作  『からだのおと』より )


リズム

1.モンシロチョウの羽

作者:いちたかさん

かしましさに制服を着せたような、ミニスカートの集団が次々と店を後にしていく。
携帯を耳にあてながら。
周りの者と喋りながら。
買った雑誌を学校の鞄に押し込みながら。

いつものことだけれど、底を尽きかけたおでん種と、レジスターの中に散乱した千円札とが、
嵐の凄まじさを物語っていた。
ほっと一つ、大きく息をついて。
カウンターの中から向かいの壁に目をやる。

20時12分。
戦いの時間は、いつもこの辺りで終わる。

「いやー、今日はおでんが多かった」

掛けられた言葉に反応し、僕は軽くあいづちだけを返す。

「やっぱり寒くなってきたからかな。あ、足りないのは僕が補充しとくから」

「すみません」

「いいっていいって。後で好きなもん買えるように、作っときたいだけだし」

ミッキーは言いながら、カウンターの下の冷蔵庫から大根のつまったパックを取り出した。

「何が好きだっけ。夕飯に買ってくでしょ」

ミッキーとは、この店でバイトを始めて6年目になる、中沢という男のあだ名だ。
僕にフェイスアップやらレジ打ちやらを教えた人で、店側からも新人の教育係として重宝されていた。
前にディズニーランドに行った時に、ミッキーマウスの人形を後輩の女の子たちに買ってきた事があって、
その時から何故か、ミッキーさんと呼ばれるようになったらしい。
尊敬でそう呼ばれているのか、からかわれているのかは、知らない。
彼もまんざらでも無いようだった。

ミッキーは慣れた手つきで、シンクに向かい作業を進める。

「僕は・・・白滝です」

「へぇ、珍しいね。一番に好きな人って、少ないよね」

そうですね。それだけ言って、僕はレジスターの掃除を始めた。
ウェットティッシュを指先にかぶせて、ゆっくりと、汚れを拭き取っていく。

「やっぱり、それ自体に味が無いからかな。大根とかと比べちゃうと・・・」

黒の汚れが、次々に絡みつく。
僕は続く彼の話を、レジの札束の整理を始めながら聞いていた。

基本的に彼は、話すことが好きな人間だ。
こちらが聞きたいかどうかはお構いなしに、ただ雰囲気の為に話し続ける。
一歩間違えば、周りから耳障りなうざったい奴だと思われそうなところをそうならないのは、
ひとえに彼の持つ人柄によるものなのだろう。
彼はまた、聞き上手でもあった。周りから相談を受けている姿も、しばしば見かけている。
いわゆる、誰にでも好かれる性格。

僕の、嫌いなタイプの人間だった。
小説家を志しているらしく、このバイトは色々な客と会えるからいい勉強になるんだ、とか言っていた
ような気がする。
それ以上の事は、彼に対しての興味が無いので、覚えていない。
僕はこれ以上絡まれないように、さっさと次の行動を起こすことにした。

店には、雑誌の立ち読みの客が1人。コピー機の前に1人。それだけだ。
立ち読みの客はもう一時間ほど同じ場所に立っていて、コピー機の女は、いつのまにかそこにいた。
ぼぅっと機械を見つめたまま、突っ立っている。
おそらく、先ほどの女子高生の大群に紛れて来たのだろう。
僕は入ってくるところは、見ていない。
見た目、コピー機の使い方が分からないなどと言ってくるような歳でもなさそうだったので、
僕は後をミッキーに任せることにした。

「すいません、じゃあ僕そろそろ・・・」

「ああ、休憩だね。どうぞどうぞ」

彼の言葉に会釈をし、僕はさっさとレジを後にする。
適当な雑誌を取りに立ち読み客の横まで行くと、窓の向こうで、先ほどの女子高生たちが
車止めや自転車に腰掛けて、おでんを頬張り談笑しているところだった。
僕は店員として、散らかったゴミを掃除する自分の姿を思い描く。
何度もやっている事だが、赤の他人の尻拭いをさせられる事実に気がつくと、憂鬱になった。
今すぐ何もかもを放り出して、帰ってしまいたくなる。

「あの・・・」

僕は完全に、休憩に入るつもりでいた。
だから、コピーの客に話し掛けられた時、その対象が僕だとは気付かなかった。

「あの、すみません」

正直に言えば、気付きたくなかった。
もう僕の手の中には、適当に見繕った雑誌が3冊、陣取っていた。

「・・・コピーの取り方を、教えていただけないでしょうか・・・」

彼女がバツの悪そうな笑顔を浮かべて、言った。
一年前なら、僕は迷わずその場を他の人に任せている。
それが休憩に入る際のルールだからだ。
バイト君がそこまで客に、気を遣う必要は無い。

けれども今の僕は、多少なりとも経験を積んでしまっていた。
今の状況が、客の希望を断る理由にはならないということを、知っていた。

「ええ、分かりました。少々お待ちください」

僕は面倒な気持ちを押し込め、親切な店員の態度を選択した。
手にしていた雑誌を、適当な場所に置く。

見た目、二十代前半。コピーの取り方くらい、知っていて欲しい歳だ。
今時、小学生でもパソコンを操れるのだから。

「あ、・・・すみません、休憩に入られるんですよね。いいんです、自分でやってみます」

一瞬、雰囲気を悟られたか、と思った。
向き直った僕に対して、彼女が上ずりながら吐いた言葉は、僕の店員としての好意を無にするものだった。
彼女は更にもう一度頭を下げて、コピー機の方へ戻っていく。

(アンタ、それが出来ないから話し掛けて来たんじゃないのか)

僕は心の中で、彼女をなじった。
天邪鬼な態度を、僕は嫌う。

「いえ、気になさらないで下さい。お教えしますよ」

コピー機を前にしていた彼女に、僕は笑顔を作って言った。

ひとたび外に出れば闇に溶け込んでしまいそうな、黒のロングヘアー。
Tシャツにデニムジーンズといういでたちから、素朴というか、地味な印象を受けた。
その瞳は、近づいてくる僕の姿を、じっと映している。

「あ、でも」

「店員ですから。本当に気にしないで下さい」

笑顔を崩さず、僕は言い切った。
けれど彼女がこれ以上断るなら、そこまでにするつもりだった。

「・・・はい。ありがとうございます」

彼女はホッとしたように目を細めて、頷いた。
その様子に若干辟易しながらも、僕は彼女に代わって、コピー機と向き合う。
目が合うと面倒なので、僕はレジにいる男の方は見ないことにした。
信号待ちから解放された大型のトラックが、大きな地響きを立てた。

「ちょっと画面がよく、わからなくて・・・」

彼女がまるで、言い訳する子供のように言った。
なるほどお金はもう、入れてあるらしかった。
右の大きなディスプレイには、コピーの設定画面が表示されていて、A4の原稿もセットされていた。
僕はそれを手にとり、一度印刷面を確認する。

「こちら、片面印さ・・・」

彼女が横から、ディスプレイを覗き込んだのと、僕の言葉が止まったのはほとんど同時だった。
完全に聴く態勢になっていた彼女は、いぶかしむ様子で僕を見上げた。

「あの、どうかしました・・・?」

「いえ、すみません。・・・こちらは、片面印刷ですか?」

僕はすぐさま自分の中の疑問を押し込めて、言葉を続ける。
彼女は少し考えてから、頷いた。
その間の意味はすぐに、知ることになる。

「サイズは、このままでよろしいですか?」

質問したのは僕のはずだった。
しかし返ってきたのも、質問だった。

「・・・これって、大きくしたり小さくしたり、できるんですか?」

(・・・・・・)

僕は心の中で、大きな溜め息をついた。
難しい事は言わずに、基本だけ教えよう。
彼女のためじゃなくて、自分のために。

「えっと、実際やりながら順を追って説明しますね」

僕は無理矢理に目を細めて、言った。

真剣に僕の指先を見つめる彼女に、僕はひとつひとつ、操作を進めていく。
彼女はその度に、まるで赤ん坊が初めての物を見るように目を見開いて、大きく頷いた。
女子高生たちが、話の種に自分たちを見ているような。
そんな気がして、僕は自分を見失いそうになっていた。

「最後にここで枚数を設定して、スタートボタンを押すとコピーが始まります」

ディスプレイを指差し、僕は最後に言った。
彼女は僕の顔を、まじまじと見つめていた。

「あの、A4をそのままでコピーするには、特に何も押さなくていいんですよね」

彼女の顔に、明るい色が芽生える。

「はい、はい。分かりました。本っ当、すみませんでした。ありがとうございました」

言いながら彼女が、僕に深いお辞儀をした。
黒髪がはらりと、重力のままに垂れた。

「いえ、構いませんよ。最後にここを押すと、おつりが出てきますから」

「はい。本当に、ありがとうございました。ええと、佐伯さん」

名字を呼ばれて、一瞬、ドキリとした。
普通に考えて、ネームプレートを見たのだろう。
ミッキーが興味深そうにして、こちらを気にしているのが分かった。

「どういたしまして。では、失礼します」

急激な嫌気と、まるで世界がぐるぐると回っているような錯覚に襲われた。
バックルームへ向かいながら、僕は後悔の意識を、胸の中で確かに感じていた。








彼女がようやくコピー機の前から離れた時には、それからもう30分が経っていた。
コピー客が後につかえていなかったのは、彼女にとって幸運だったと言うほか無いだろう。
もちろん僕の休憩時間は、とっくに終わっている。
僕は店長から言われた仕事をレジで事務的にこなしながら、彼女の様子を見ていた。
暇な時は、客を観察するぐらいしか面白いことが無いのだ。

コピー機の前の彼女は、間違いの無いように一つ一つ手順を確認しながら、それでも間違えてしまう、
まるで幼児の手作業のようだった。
知識を手に入れようとする好奇心。
真新しい快感。
もっとも、実際悪戦苦闘していたのは20を越えているであろう、いい大人だったのだけれど。

僕は横目で、味の染みこみ始めたおでんのほうを見た。
ミッキーが気を利かせたのか、白滝が一つの枠の中に溢れるほど入っていた。
まさか、僕が全部買うとでも思っているんじゃないだろうな。
僕は両手をカウンターに乗せ、目を伏せた。

「佐伯さん」

突然名前を呼ばれて、僕はほぼ反射的に顔を上げた。
コピーを終えた彼女が、カウンターを挟んで僕の目の前に立っていた。

「ありがとうございました。お世話になりました」

「いえ、どういたしまして」

僕は言いながら、足元の棚の一番大きなレジ袋に指を掛けた。

彼女の抱える紙の量は、恐らく200枚を超えている。
夜風に紙を飛ばされて、慌てふためく彼女の様子が何故か脳裏をよぎった。

「それより、こちらの袋の方に入れていった方が持ち易いと思いますので、どうぞお使いください」

言いながら、一番大きいレジ袋を彼女に示す。
コンビニにとって、それくらいの気遣いはマニュアルのようなものなのだが、彼女にとっては明らかに
意外なようだった。

「あの、いいんですか? 買い物もしてないのに・・・」

店員がいいと言うのだから、いいに決まっている。

「ええ、貸して下さい。お入れしますよ」

僕は彼女から紙の束を受け取ると、入れるのに苦労しているフリをして、そのインクの集まりを盗み見た。
白状すれば、これが目的の一つだ。僕には確認したい事があった。
紙一面にびっしりと書き込まれた文字。
そして、『モンシロチョウの羽』。
場面描写やセリフなどがあり、それは一目で『台本』だと分かった。
あるテレビドラマの台本を、彼女はコピーしていたのだった。

「あ、じゃあ、おでん下さい」

(おでん?)

レジ袋がパンパンに仕上がった頃、彼女が不意に言った。

「お買い上げですか?」

「はい、折角なので。えっと、いいですか?」

彼女が什器の前へ移動したので、僕は袋をそのままにして、彼女が指差す大の容器を用意する。
レジをおでん専用の画面にしてから、トングを掴んだ。

「どうぞ」

「じゃあまず・・・大根をください」

彼女は僕の手つきを確認しながら、注文を続ける。
玉子、白滝、厚揚げ、ちくわぶ。
平凡なラインナップだった。思うのは、女性が一人で食べるには少し多いか、というくらいだ。

「それともう一つ、白滝をお願いします」

一番大きな容器を選んだのだから、別に特別おかしな事でもない。
注文の終わりを感じ、ツユを注いでいた僕に、しかし彼女は更に注文を付け加えた。
はんぺん、白滝、白滝、白滝、大根、白滝。

(・・・・・・)

もしも白滝に仲間意識というものがあるとしたら、悲鳴を上げていたに違いない。
残されてしまった最後の一つが、まるで仲間との別れを惜しむように、悲しげにプカリと浮いた。
別に興味は無いが、彼女の後ろに、彼女の友人の存在がちらつく。

「1279円になります」

再びツユを注いでいる間に、彼女はペットボトルとスナック菓子を持ってきていた。
僕はバーコードからそれらの値段を読み取り、ディスプレイに表示された金額を口にした。

「えっ・・・」

彼女の呼吸が止まったのが、空気を通して伝わった。
ハンドバッグから取り出した財布の中身を、真剣に見つめていた。

「・・・あっ、大丈夫。良かったー。ありました」

ぱっと、彼女の顔に光が戻る。
予想はしていたが、お金が足りるかどうかを確認していたのだと確信できた。
ただ僕には何故、彼女がこんなにも親しげに話しかけてこれるのかは理解できない。

「それじゃあ、1280円でお願いします」

カウンターの上に、彼女が言った金額が乗せられる。
その時の僕は夕飯から、白滝を外す事に決めていた。
彼女の笑顔が、少しだけ恨めしかった。

「ありがとうございました。それでは」

彼女は袋とおつりを受け取ると、最後に深々とお辞儀をして、店から出て行った。
ガラスの向こうの後ろ姿が、徐々に小さくなっていく。
疲れた心を吐き出すように、僕は、ふっとため息をついた。

「うわっ、ほとんど無くなってる」

僕の右を抜けて、休憩を終えたミッキーが隣りのレジに入る。
彼は、自分が補充したはずのおでんに、目線を預けたままだった。

「あの娘が買っていったの? いやー、いたね、白滝好きの人が、君のほかに」

人から馴れ馴れしく『君』と呼ばれることに、僕は抵抗を感じる。
白滝を買い占められた軽いショックも含めて、自然と苦笑いが浮かんだ。

「友達の分もあるんじゃないんですかね」

「じゃあ買い出しに?」

「いや、単なる予想ですよ」

カウンターの端のチラシを整えながら、僕は適当に言葉を連ねた。
この時間は本当に、嫌になるくらいに客が、少ない。

「でも結構、可愛い娘だったね。初めて見る顔だけど、近くの大学生かな。もしかして知り合い?」

僕は何とかしてレジから離れる方法を考えていた。
これ以上彼の調子に合わせるのは、疲れるだけだった。

「いいえ全く・・・。あ、コピー用紙補充してきますんで、ちょっとレジお願いします」

ミッキーの返事を待ってから、僕は小走りでバックルームへ向かうと、わざと時間をかけてコピー用紙を
見つけ出す。
パソコンに向かう店長と軽く言葉を交わしてから、僕は再び小走りでコピー機の元へ向かって、
今度は手早く作業を終えた。
もうあと一時間で、今日のバイトも終わる。
明日は昼から行かなければならないところがあった。大学と違って、遅刻は許されない。

(映画は明日にするか)

昨日買ってきてから、テレビの上に放置したままのDVDの処理を、僕はそう決めた。
どうせ暇つぶしに買ったものだ。明日、縁が無ければ当分見ることも無いだろう。

道の向こうの線路を、3両編成の電車が通り過ぎていった。
女子高生たちの姿はすでに無かったが、意外にも、散乱していると思われたゴミは全く無かった。
少しの安心感と共に、先程盗み見た、台本の内容を思い返す。

僕はそれに、見覚えがあった。

小さく深呼吸をして僕は、コピー機がまだ印刷可能中であることに気付いた。
まさかという嫌な予感と共に、おつり返却ボタンを、押してみる。
カランカランと音がして、返却口に差し込んでみた指先が、100円玉を2枚、つかみ出した。

「・・・どうしようもねぇな」

そんな言葉が、自然と口をついて出た。
黒く生い茂る闇の中で、往き来する車のライトがまるで、蛍のようにうごめいていた。






第2話に続く


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