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僕は一度、魔法使いに出会ったことがある。
7歳の時、広い、真っ白な夢の中で。

その少女は僕の友達の女の子だったか、そうでなかったようにも思う。
どれほどのイメージや記憶が重なっていたのかは、分からない。
確かだったのは、僕にとってその魔法使いは女の子という存在に対しての憧れであり、
大切な存在だったということだ。

彼女はまさに魔法使いだった。
15年経った今でも、思い出すたびに強烈な切なさと、
二度と手に届かない、遠い世界の存在が持つもどかしさとを僕に与えてくるのだから。



リズム

4.魔法使いの少女

作者:いちたかさん

ともあれ、その格好によく似た姿をしている女が今、僕の目の前、正確には左斜め前に座っている。
いくら大学の構内といえど、そんな格好で歩き回って恥ずかしくないのか、と言いたくなったが、
大学のサークルレベルとはいえ、役者というのはそういう人種なのかもしれない。
若しくは、この女だけが特別なのだろう。

「わざわざ、すみません」

魔法使いの隣に座る町田葉子は、遠慮がちにそう言った。

「いいえ」

僕は言いながら、予めコンビニで買ってきた、お茶のペットボトルを開ける。
学校祭当日の朝、彼女は、昨日僕が村木を誘った食堂で、僕の到着を待っていた。
開店直後ということもあって、僕達の他には、客の姿は見当たらなかった。

「話というのは、何でしょうか」

「この人が、佐伯さんですか?」

僕とコスプレ女はほぼ同時に、彼女への質問を口にした。
どちらに返事をすべきか迷う女優の卵に、魔法使いは笑みを浮かべ、静寂を打破するかのごとく
僕に向かってぺこりと頭を下げる。

「はじめまして。演劇部一年、望月一二美です。こんな格好ですけど、軽蔑しないでくださいね」

「三年の佐伯智一です。初めまして」

魔法使いの姿は、思い返せば今までに何度も目にしていた。
その正体は、常にチケット売りの先頭に立っていた女だ。
昨日の図書館の前でも、あるいはその前からも、今と同じ衣装を着て声を張り上げていた。
何にせよ、妙な格好であることは本人も自覚があるらしい。

「それで、お話というのは」

僕は再び、町田葉子の方へ向き直る。

彼女が僕に会いにやって来たのは、昨日の夕方のバイト中のことだ。
ミッキーが休憩に入っていたのは、不幸中の幸いだった。
彼に関係を勘繰られては、無意味な説明に相当な手間を取らされることになる。
ともあれ彼女がやって来た理由は、仕事のことで僕に相談したいことがある、というものだった。
そのくらいの用事、携帯に電話すればいいのにと思ったが、そういえば僕は
北野ぐらいにしか番号を教えていない。
バイトが終わる頃には10時を回る上に、そんな時間から女性とファミレスで2人になる気も、誘う気もさらさら
無かったので、僕はこの『ルームライト』で、翌日の朝、祭りが始まる前に会う約束をすることにした。
僕と同じ大学だったと知った彼女は相当驚いていた様子だったが、つまり僕は今日、
彼女と話をする目的を持ってここへやって来た。
そうでもなければ、訳の分からない格好の女に目の前に座られた時点で、僕は席を立っている。

「実は、立花恭子さんのことで、いくつかお伺いしたいことがありまして」

架空の人物に『さん』付けする神経は僕には理解し難いものだったが、僕には彼女の相談を
突っぱねる理由はどこにも無い。
それに、役者が悩むことなのだから、彼女の発言は充分に予期していた。

「はい」

僕の返事を受けて、彼女がクリアファイルから『モンシロチョウの羽』の台本を取り出す。
穴が開くほど読み込んだのか、ひどくくたびれていた。

「彼女、小さい時に父親の蒸発と、母親の死を経験しているわけなんですけど」

緑色のカラーペンを握りながら、彼女が質問を始める。
パラパラとめくるページのほとんどに赤の注釈が入れられていて、それが演ずる際の注意点だとか、
自分なりの解釈を示しているという事は、見ていて大体分かった。
僕はペットボトルを脇に置いて、答える態勢をとる。

「私にはそれからの彼女が、自分から不幸を選んで生きてきたような気がするんです。
 自分から、幸せと呼べるものを遠ざけているというか」

「・・・そうですね」

「それは意識的に、ですか?」

「状況にも因りますが、どちらにしろ自分ではどうすることもできない。
 主人公は不幸を手放すのを怖れているんです」

僕はすぐさま、言葉を付け加える。

「いわゆる『青春』と呼べる時期を、主人公は強い逆境の中で生きてきました。
 不幸の中でしか、自己というものを発揮できずに。だから、自分から不幸を選ぶクセがついてしまった」

「両親を失ったことが、やっぱり彼女には相当なトラウマになっているんですね」

「発端はそうだと言えますが、重要なのはそれからの生き方です。ひとつ言えるのは、主人公は
 自分の経験に素直な人間で、思考の先頭には常に自身の経験があるということです」
 
「・・・思ったんですけど、彼女は頭のいい人間なんじゃないでしょうか。自分自身のそういった部分や、
 取り巻く状況全てを頭で理解して、どうにもできないことが分かってしまっているから、余計に苦しんでしまっている」

「その解釈は自由でいいと思います。ただ、主人公の根底にあるのは弱さでは無く、強さと映るように書いたつもりです」

しばらくの間、僕と彼女の受け答えは続いた。
僕はふと、話に加われない人間の様子を盗み見る。
魔法使いは退屈そうにして、自分の左右に垂れた尻尾のような髪を、くるくると回しながら遊んでいた。
おそらく、衣装に合わせたカツラだろう。
年甲斐も無くこんな子供じみた髪形を選んでいるとしたら、僕は迷わず軽蔑する。

(こいつ、目障りだな)

素直な感想だった。










「ありがとうございました。とても、参考になりました」

30分くらい経って、彼女は広がっていたペンや台本を片付け始めた。
僕は心の中で、ふぅ、と一息つく。
いつの間にか店内には、ちらほらと客の姿が見受けられるようになっていた。

「こちらこそ」

思い出したようにペットボトルをつかみ、そのまま口へ運んだ。
祭りの前の喧騒が、段々と大きくなってくる。
窓から差し込む朝の光りが、妙にきらきらしていた。

「あの、もし良ければ携帯電話の番号と、メールアドレスを教えていただいてもいいですか?」

「ああ・・・。そうですね、交換しましょう」

僕は彼女の提案に、大賛成だった。
質問があるたびにバイト先に来られては、たまったものじゃない。
僕は手早く携帯を用意すると、彼女が口にした番号とアドレスに応じた。

僕は、他人に自分の情報を、極力教えない。
知られるのが嫌なのではなくて、対応が面倒だからだ。
昨日、彼女が求めればバイトを終えた後に交換しても良かったが、質問の量を考えると、
僕には今のこの場が正解だと思った。

「すみません。また、何かお尋ねするかもしれませんけれども」

そう言って、作業を終えた彼女が携帯を畳んだと同時に、その手の平から聞き覚えのあるメロディが流れた。
彼女は慌てて携帯を開いて、ディスプレイを確認する。

「ちょっと、すみません」

小走りしながら電話に出た彼女は、周りに人の居ない、隅のほうへと向かう。
僕はといえば、初対面の人間と2人きりにされて。
状況としては、最悪だった。

「ここって、落ち着きますよね。私、『ルーラ』って大好きなんですよ」

「そうですか」

別にあなたの好き嫌いなんて興味無い。
僕は本心を踏まえて、淡白に言葉を続ける。

「僕もよく使いますね、ここ」

それにしても、魔法使いに「ルーラ」と言われると、どこかの町に連れて行かれてしまいそうな気分だ。

「佐伯さんは、ドラマの脚本だけなんですか? 舞台とか小説とかは、書かないんですか?」

とりあえずそれ以上何も喋る気は無かった僕に、魔法使いは続けて、ぐいと身を乗り出して尋ねてきた。

「今のところは。舞台や映画の脚本はこれから先、勉強しようとは思いますけど、小説は全く畑が違いますので」

「ふーん・・・そうなんですか。あ、実は台本読ませてもらったんですけど、すごく面白かったです」

「ありがとうございます」

僕は簡単に、頭を下げる。

「葉子さん、演技すっごい上手ですよね。そう思いません?」

幸いこの女は喋ることが好きな、つまりはミッキーと同じ人種らしい。
マシンガントークに付き合うだけなら、多少は気が楽だった。
ただ今しがたのようなことを言われたって、見たことの無い僕には分かるはずもない。
僕は正直に答えた。

「色々あって、まだ見れてないんですよ」

「そうなんですか。ぜひ一度見てみて下さい。ホントもう、天才なんですから」

魔法使いは僕の嫌いな単語を言い切り、妙に子供っぽい笑顔を見せた。
彼女の後輩というからには歳は19辺りなのだろうが、ハッキリ言ってセーラー服を着てしまえば、

「わたし今、高校受験の真っ最中なんです」

などと真顔で言われたところで、恐らく違和感は感じない。
僕は子供は嫌いだし、この女のことなど何も知らないけれど、その存在はおそらく、
遠い存在になってしまった時、人にどうしようもない切なさを抱かせる類のものだ。
まるで昔、夢で見たあの魔法使いの少女のように。

僕は投げやりに会話のきっかけを探し始めて、そしてすぐに見つけた。

「そういえば明後日は確か撮影がありますから、町田さんは出演できないんじゃないですか?
 その・・・『サンタクロースに花束を』には」

僕は彼女達が学校祭で行なう、芝居のタイトルを口にした。
ふと、もしかしてこの女がさっき言った「一度見てみて下さい」というのは、暗に僕に「チケットを買え」と
言ってるんじゃなかろうか。

そんな考えが、脳裏をよぎった。

「ええ。だから、明後日はやらないんです」

返事は、意外といえば意外だった。
てっきり、ダブルキャストという単語が出てくるものだと思っていたからだ。

「葉子さんの代わりなんて、誰にもできないんですよ」

魔法使いはため息と共に、微妙な感情を含めた瞳で遠くを見つめ、それからそれを振り払うかのように、
自分の髪に両手を添える。
パチンパチンと音がして、外れたカツラの中から本来の髪型が、姿を現した。
張り付いた髪を一度くしゃくしゃにして解すと、活動的な茶髪のショートを手櫛で整え始める。
大雑把な性格なのは、もう明らかだった。

(夢で会ったのは、もっとちゃんとした感じだったんだけどな)

そんな熱に当てられたようなことを考えて、自分で自分が馬鹿みたいに思えてきた。
苦笑を浮かべた僕に、魔法使いは何を勘違いしたか、ニコッと大きな笑顔を作る。
僕はもう一度、適当に笑い返して、観察を止めた。
主演女優が、戻ってきたからだ。

「北野さんからでした」

席に落ち着いた彼女が、携帯をテーブルの上へ置いた。
僕は内容を聞こうとして、やめた。
彼女と僕は今、仕事上の共同体の中にいるのだから、彼女が何を伝えられたのかは当然気になる。
けれど僕に必要な情報なら直接電話してくるだろうし、それが無ければ僕には全く関係の無い話だと
いうことだから。
無駄な質問を、する必要は無い。

「何のお話だったんですか?」

ペットボトルを手にとって、僕は残りを一気に流し込んだ。
僕がわざわざ呑み込んだ言葉をあっさりと口にしたのは、毛先をいじる魔法使いだ。

「明後日のスケジュールの確認と、あと今何してるの、っていう感じかな」

彼女が発した言葉が、僕を拍子抜けさせる。

(あんたは彼女の彼氏か何かか)

心の中でそう、北野を殴りつけた。

「佐伯さんと一緒にいます、って言ったら、よろしく伝えてくれって、仰ってました」

「そうですか」

僕に向き直った彼女に、愛想笑いで返した。

「あれ? ひーちゃん、外しちゃったの?」

ひーちゃん、とあだ名で呼ばれた魔法使いが、反射的に頭に手をやった。
ぽりぽりと指を動かしながら、少女は苦い笑いを浮かべる。

「可愛いんですけど、なんか蒸れて痒くって・・・。・・・でも、そんなに似合ってます?」

「うん、似合ってる。皆もそう言ってたじゃない」

内輪の会話が続いていた。
僕はこういう状況に陥った時、すぐにその場を離れる。
一人でぼんやりしていても仕方ないし、カツラが似合うか似合わないかなんて、僕には心底どうでもいい。
それに、そろそろ頃合いだと思った。

(さてと)

僕は思い立って、バッグから財布を取り出した。
別に『劇団浮き輪舟』の十周年記念公演とやらに気を遣う義務は僕には全く無いし、さっきの僕の邪推が
影響している訳でもない。

ただ、撮影に顔を出していない代わりに、僕には色々と、主役に対して気を遣う必要があると思った。
未来の大女優になることを見越して今から関係を作っておくためだとか、脚本家としての自分の
将来のためだとか、そういうつまらない理由ではなく、単純に、自分の話の主役を演ずる人間との、
最低限のつきあいを態度で示しておく必要があるからだ。
彼女が将来、芸能界に身を置き続けるのか、辞めるのか。
居続けるならどこまで成長するのか、僕には正直どうでも良かった。
いずれにしても彼女が生きる世界と、僕が生きる世界とでは、密接に関係しているとはいえ、
本質的に全く別のものなのだから。

「そういえば、お幾らですか。チケット、僕も買わせていただきます」

僕は2人の会話に、そう割って入った。
少々納得いかなそうな顔でカツラを見つめていた魔法使いが、外敵を察知する小動物のような素早い反応を示す。

「チケット、お買い上げですか!?」

だからそう言ってる。

「折角ですから。それに、興味もありますので」

簡単な言葉で嘘をつきながら、僕は千円札を取り出す。
面倒だから、見に行くかどうかは分からない。

「ありがとうございます。ええと、当日・・・・・・や、前売りで500円になりまーす」

言いながら、衣装のポケットからチケットを取り出す魔法使いの隣で、主演女優が申し訳なさそうに微笑む。

その、目が合った一瞬、ほんの一瞬。

まるで、その姿が立花恭子のように見えた。


黒の眼差しに、魔法をかけられたような、錯覚。


「お買い上げ、ありがとうございまーす」

気付くと、魔法使いは腕を伸ばして、僕が差し出した千円を素早く奪い取っていた。
何をそんなに急ぐ必要があるのか知らないが、僕の気が変わる前に、とでも思ったんだろうか。
憎たらしいほどの笑みを浮かべながら、代わりに僕の目の前に、500円玉と安っぽいチケットを差し出す。
ぼんやりとしながらそれらを受け取り、僕は財布にしまい込んだ。

「葉子さん、やったね。ギリギリでノルマ達成!」

人の気を知らない能天気な声が、食堂に響く。

「良かったね」

2人の会話に、僕は窓から下の世界の景色を眺める。
屋台の骨組みを運ぶ人たち。看板を担ぐ男。スーパーの袋を両手にぶら下げた女たち。
祭りの始まりに向けて、大学という空間がエネルギーに満ち始めている。

僕はペットボトルをカバンにしまって、そっと立ち上がった。

「それじゃあ、僕はそろそろ」

「あ、すみません、最後に・・・もう一つだけ」

カバンを肩にかけた僕を、そんな声が引き止める。
台本を収めたファイルに、彼女の手は置かれたままだった。

「父親が訪ねて来た時の、彼女の本心。・・・私はやっぱり、嬉しかったんじゃないかと思うんです」

僕は数秒、そのシーンの情景を思い描く。
正直に言えば、彼女が僕に質問をしてくる度、心の中で僕はその内容に感心していた。
僕の思い描く立花恭子というキャラクターの人生を掴みかけている、彼女の役者としての実力を感じたからだ。

「あの時、彼女は最終的に、父親を拒絶した。僕の意図はそれだけです」

その人間の過去や信条を理解しようとせず、脚本家や監督、演出家の言われるままに
表面だけを演じようとする役者が多い中で、若い彼女の存在と実力は貴重だと、北野は言っていた。
同時に、これだけの量のドラマや価値観が氾濫する現代にあって、もはやそのやり方は時代遅れだ、とも。

それはつまり現在のドラマの、利益優先の生産ラインに、その時間のかかる作業が上手く乗ることは
出来ないということだ。
更に言えば、視聴者のニーズにも広く答えづらくなってしまう。
テレビなんて物は作り手も視聴者も、『分かりやすいもの』を求めているのだから。

役者が役づくりを満足いくようにやりたければドラマではなく、舞台を選べばいい、と言われるのがオチだ。
テレビに出る役者なんて、代わりが他にもゴマンといる。
それが、今の流れ。スポンサー企業を含めた、業界全体が持つ考え方だ。

「けど確かに、嬉しいと思いたい彼女がいたと。僕もそう、思います」

「・・・はい、分かりました。お付き合いいただいてありがとうございました」

僕の言葉に、彼女は深くお辞儀をして返した。
彼女を尊敬する魔法使いには悪いが、彼女の代わりも、きっと今のテレビにはゴマンといる。
けれど僕には、そんな資本主義の理屈などどうでも良かった。
役の人生そのものから理解しようとする彼女の姿勢は、僕には一人の役者の姿として正しいもののように思えた。

「いいえ、お役に立てればそれで。こちらこそよろしくお願いします。撮影、頑張ってください」

会釈しながら、僕は本心を口にした。
彼女は立花恭子を、本気で演じようとしている。
話をしていて、ふとそんな感想が素直に心に浮かんだ。
そしてそのことに関しては、素直に有り難いし、嬉しいとも思えた。

「面白いんで、絶対観に来てくださいねー」

背後からの呪文をどこか遠くに聞きながら、僕は食堂を後にした。
しなければならない買い物があったが、それがどうでもいいように思える。
それより、彼女と目の合った、あの一瞬。

吸い込まれていきそうな、あの一瞬の眼差しに、僕はしばらくの間、囚われ続けていた。





第5話に続く


いちたかさんへの感想はこのアドレスへ
to-show@k6.dion.ne.jp


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