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―――――バレンタインに、マフラーを?

―――――うん。・・・それで、花穂初めてだから、お姉ちゃまに教えてもらいたいなって・・・ダメ?

―――――駄目だなんて。わたくしで良かったら、喜んで。

―――――ほんとう!? わぁ、ありがとう、お姉ちゃま。

―――――ウフフ。兄上様もきっと、喜んで下さいますよ。頑張りましょうね、花穂ちゃん。

―――――うん! 

―――――でも、どうして急にマフラーを?

―――――えへへ。・・・お兄ちゃまね、マフラーが欲しいなぁって、言ってたの。だから、・・・・・・




「・・・・・・鞠絵。・・・鞠絵?」

食事部屋に、ボリュームを上げた僕の声が響く。
それでようやく、ソファの隣りに座る鞠絵は反応を返してくれた。

「え? あっ、す、すみません、何でしょう? 兄上様」

雛子、亞里亞と一緒にバニラと戯れる可憐。
キッチンで夕飯の支度をしている、白雪と咲耶。
3人にも僕の声が届いていたのか、こちらを気にしている様子が見えた。

「いや、どうしたのかなって思って」

「え?」

眼鏡の奥の瞳が、一瞬大きく見開いた。

「何か・・・、さっきからうわの空だから、さ」

「ごめんなさい。少し、考え事を」

そう言って僕から視線を逸らす。

「難しいこと?」

「・・・・・・・・・。多少・・・」

「僕で、相談に乗れる?」

ためらいがちに、鞠絵は小さく首を横に振った。

「・・・そっか。まぁ、あまり自分一人で思い詰めないようにね。辛かったら、いつでも言ってよ」

「はい、ありがとうございます。・・・・・・わたくし、お夕飯までお部屋の方に戻りますね。
 兄上様、ごゆっくり・・・」

鞠絵はすっと立ち上がると、ショールを直し、僕に軽く頭を下げて表へと向かう。
閉まるドアをボーっとして見ていると、寂しくなった筈の右側に、急に体重がかかるのを感じた。

「お兄様」

「わっ、びっくりした」

思わず距離を取ってしまう。
鞠絵には無い、甘い香水の匂いがした。

「あら、お兄様、私じゃ不満なの? 鞠絵の方が、良かった?」

体を僕にすり寄せて、上目遣いに囁く。
いじらしい振る舞いに、僕は妙に胸を締めつけられた。
これは咲耶の技だ。慌てたりしちゃあダメだ。
僕は懸命に自分に言い聞かせた。

「いやいや、そんなことは・・・」

「フフ、暖房の効かせ過ぎかしら。お兄様、顔が赤くなってる」

咲耶が子悪魔のような微笑みを浮かべる。
どうも、咲耶の方が一枚上手らしい。
僕は取り繕うように、咳払いをしてみせた。

「それで、どうしたの?」

「衛・・・何て言ってたのかな・・・って」

ああ、そういえばと思った。
昨日まで、次のマンガのアイデアをまとめるのに頭が一杯で、咲耶達にまだ話をしていなかったのだ。

「色々言ってたよ。僕達に心配かけたくなかったとか、友達を疑う事になりたくなかったとか、ね」

「・・・そう」

「衛はさ、優しいから。どうしても自分で抱え込んじゃうことが多いんだよな・・・」

頬杖をついて、僕と咲耶の口からほぼ同時にため息が発せられた。
2人とも、同じ事を考えていたからだと思う。

その時、先日購入したFAX機能付きの電話から、『翼をください』のメロディーが流れ始めた。
僕が腰を上げるより先に、可憐がいち早く反応して、受話器を上げる。
なんとなしにその後ろ姿を眺めていると、やがて可憐は不思議そうな表情でこちらに振り返る。

「お兄ちゃん・・・。小学校の先生から、お電話なんですけど・・・」

視界の端で、途端に白雪が反応した。
どこか不安げな顔で一瞬僕に目をやり、しかし僕と目が合うと、すぐにキッチンに向き直った。

「小学校?」

僕は身を起こし、急いで可憐から受話器を受け取る。

「はい、もしもしお電話代わりました。はい・・・はい・・・。・・・・・・衛が・・・ですか?」


シスプリ劇場 金魚鉢が観た家族

第9話 羽衣のように

作者:いちたかさん


一種の拷問にも似た光景だった。
校長室に入ると、衛と一人の女性がテーブルを挟んで、向かい合わせに座っていた。
衛の左手側のソファに校長と教頭が、衛の右手側のソファには担任の石川先生が居た。
彼女は4年前、咲耶が小学6年生の時にもお世話になった先生で、その時は確か教師になって
まだ3年目だったと記憶している。
何度か家に来て、養父母と話をしていたから、僕も顔を知っていた。

思えばあの頃は咲耶も、今のように人付き合いのいいタイプじゃなかった。
クラスに溶け込めずにいる咲耶を、心配していたのだと思う。
そんな訳で先生は、僕達の経緯をある程度知ると同時に、咲耶にとっての良き理解者となってくれた。

こんな形で再び顔を会わせるとは、お互いに思ってはいなかっただろうが。

会釈と共に全員の視線が、僕と咲耶に交互に集中する。

「・・・あにぃ・・・・・・」

捨てられた、子犬のような目で、衛が言った。
小さい体が、痛々しいくらいに小さく見えた。
いたたまれなくなった僕と咲耶は、お辞儀もほどほどに、衛の傍に小走りで駆け寄る。

「遅くなりました。衛の兄の、佐倉荘太と申します」

「姉の咲耶です」

場の面子に向かってもう一度しっかり頭を下げてから、僕と咲耶は衛を挟んで、革のソファに腰を下ろす。
咲耶が衛の右手を握り締めた。
衛は、テーブルの上の上品な灰皿をじっと見つめたまま、顔を上げようとしなかった。

「わざわざご足労頂き、申し訳ありません。私、校長の森田と申します。こちらは」

「杉本です」

校長の言葉を遮り、向かいの女性が、面倒臭そうに頭を下げた。
その様子に不可解なものを感じながらも、僕は早速話を切り出す。

「お話はお電話である程度お伺いしておりますが・・・。衛が、どうかしたんでしょうか?」

電話で聞いたのは、最近またクラスでお金の盗難があったという事と、その事で今、お金を盗まれた子の
母親が学校に来て、衛と共に校長室にいるという事だった。
女性の名字と自分の記憶とを総合して考えると、目の前でいきり立つこの厚化粧で、
小太りなオバサンパーマが、例の過保護なPTA役員なのだろう。

「どうしたもこうしたも、ありませんよ」

明らかに不機嫌な口調で、杉本は言葉を続ける。

「2日前にまた、ウチの娘の財布から1万円が盗まれたんですよ。その犯人がその子なんです」

いきなりの勝手な決め付けと、威圧的な物言いをぶつけられて、一瞬、返す言葉を失った。

「ボクは・・・、そんなこと、してないもん・・・」

衛に先に、否定の言葉を口にさせてしまっていた。
僕はすぐさま後を続ける。

「ちょっと待って下さい。どうして衛が犯人だなんて言えるんです? 本人は否定してるじゃないですか」

「その子が財布からお金を抜く所を見たっていう子達が、今日、娘にそれを教えてくれたんですよ。
 それに、怒られたくないから口先で否定するのは、子供にありがちな行動でしょう?」

そんな返事で、納得できる訳が無い。
それならば、この場にその子達がいないのは不公平だ。

その証言だって、口先だけのものかもしれないのだから。
衛もその子達も、言っていることの信憑性は同程度の筈だ。

「・・・でも、その場で衛を問い詰めたという訳では無いんですよね。それは、どの程度
 信用できる証言なんですか」

「信用も何も・・・、実際に2人の児童が見たと言っているんですから、確かに決まってるでしょうに」

僕の理解力の無さに苛立ちを感じているのか、ぶっきらぼうな口調だった。
しかし僕には、どこかどう確かなのか、全く理解出来ない。

「ですから何故、その子達を信用なさっているんですか?」

しかしその質問に答えたのは、杉本ではなく教頭だった。

「佐倉さん。見たという子の1人は、先日難関私立中学の受験に合格した子なんですよ。
 これは、我が校でも初の栄誉なんです。杉本さんが信用なさっているのも、ごもっともでしょう」

言い方に、妙なものを感じた。
心の奥底から湧き出た、あまり信じたくない予感を無理矢理抑えこむ。

「でもそれで、その子達の言っている事が正しいという事には、ならないんじゃないでしょうか」

気付かない内に、語気が強まっていた。
すると、しつこく引き下がる僕に業を煮やしたのか、それとも質問の答に窮したのか、
杉本は次に信じられない言葉を口にした。

「名門中学の受験を合格した子と、家庭に問題のある子。
 どっちの言う事を信じるかなんて、考えるまでも無いでしょう!?」

思わず固まってしまう。自分の耳を疑った。
当の杉本はまるで、こんなことまで言わせるなんて、とでも言いたそうな顔でそっぽを向いている。

「・・・聞けばあなた方の家庭は、ご両親がいないというじゃありませんか。そんな環境で・・・ねぇ。
 ちゃんとした子供が育つのかしら」

厚化粧のツラと相まって、吐き気がしてきた。
親の存在が毒になる事だって、世の中にはあるというのに。

「杉本さん、待って下さい。ご家庭の事情はそれぞれです。・・・もう少し理解ある言葉をお願いします」

たまらず石川先生が、哀願するように言った。
険しい顔で指摘され、杉本はほんの少しだけバツの悪そうな顔になる。

「・・・でも御宅の妹さんが、娘からお金を盗んだのは確かですのよ。・・・それも2回も!
 その責任はどうなさるおつもりですか?」

「違うよ! ボクは盗んでなんかない!」

殆ど反射的に衛が叫んだ。
衛が犯人だと決め付けられている事に、いい加減辟易しながらも、僕は衛をなだめた。
衛が唇を強く噛みしめているのが分かった。

「どうだか・・・。信用できませんわね」

僕としては、学校という多数の人間が存在する空間に、危機管理能力の少ない子供に1万円もの
金の入った財布を持っていく事を許している、親の方が信じられない。
そう思った時だった。

「ちょっとオバサン! さっきから聞いてれば、もう少し言い方ってもんがあるとは思わないの!?」

突然、身を乗り出して、咲耶が噛み付いてかかった。
予想していなかった事に、校長室は時間が止まったように静まり返った。

しばし呆然と咲耶を見つめるオバサン・・・もとい杉本だったが、やがてみるみる頭に血を上らせていく。

「ほら見なさい! 教育がなってないから、こんな乱暴な言葉を遣うんです!」

咲耶を指差しながら、怒りに震えた声で言った。
その言葉はそっくりそのまま返してやりたかったが、僕がここで反論しても、より衛の精神を
追い詰めてしまうだけだ。
年上の人間が激昂する姿に強いショックを受けたのか、やり取りを見つめる衛の顔が青ざめていた。

衛の為にも僕は自分の頭と、半ば無理矢理に咲耶の頭を下げ、謝罪の言葉を口にする。
それでもまだ何かブツブツと文句を言っているようだが、殆ど聞いていなかった。

「・・・とにかく、お金はキッチリ返して下さいよ」

言うべき事を言って安心したのか、杉本は大きく息をついた。
それから何かを思い出したように、腕時計に目を落とす。

「そろそろ失礼させて頂きます。これ以上言い合っても時間の無駄ですし、今日は娘の塾があって、
 送って行かなきゃならないんですから。その子にもよく、言って聞かせておいて下さいよ」

(それじゃ困る。困るんだ)

ここで帰ってしまうのは、あまりにも無責任だ。

「待って下さい。そちらの都合もあるのは分かりますが、衛はやってもいない事の犯人に
 されているんですよ。もっとしっかり話し合いをして頂けませんか」

とは言ったものの、この人は衛が犯人だと信じきっているのだ。
僕の言葉にわざとらしく、イライラした仕草を返しながら、

「・・・偉そうに」

吐き捨てるように言った。
即座に咲耶が、我慢しきれず立ち上がる。

「偉そうとは何よ」

「いやはや、杉本さんも、そちらのお嬢さんも、少し感情的になられているようですね」

流石に険悪な雰囲気に憤りを感じたのか、不意に校長が言葉を挟んだ。

「お互いの言い分は、ごもっともです。しかし客観的に見れば、2人の児童の目撃証言がある以上、
 杉本さんの方に説得力があるように思います」

「校長先生、そんな・・・」

何を言うのか、という表情で石川先生が身を乗り出す。
僕も同じ気持ちだった。
予感が、確信に変わりつつあった。

「石川先生」

校長の口調が、急に厳しいものに変わる。
身内には容赦は無いという事か。

「元はと言えば、あなたの監督不行き届きも原因の一つなんですよ。それに、生徒の個性を尊重するという
 先生の教育方針にも、少々考えの至らぬ点があったのではないかと、言わざるを得ませんね」

「校長先生だけじゃ、ありませんよ」

校長という味方を得た杉本が、得意げな顔をして会話に割って入る。

「家庭に問題のある児童がクラスにいるのなら、しっかり監視しておくべきなんです。
 先生がしっかりして下さらないから、こういう子がこういう事を起こすんですよ!」

衛を睨みつけながら、きっぱりと言い放った。
この人はどうして子供の前でこんな事が言えるのだろう。
右手が震えた。知らず知らずの内に、拳を形作っていた。

「とにかく、こちらとしてはお金をしっかり返して頂かない事には、納得致しませんので」

「まぁまぁ、杉本さん・・・」

校長が困ったように薄い笑いを浮かべ、言った。
そうして、こちらへ向きを変えると、

「どうでしょう、佐倉さん。謝罪だけでも、なさっていただけませんか。こちらとしても、
 ただでさえ卒業を間近に控えたこの時期に、騒ぎを大きくしたくないんです」

諭すような笑顔だった。

(なるほどね)

気持ちを落ち着けるように、ゆっくり息を吐く。
僕にはこの空間の意味することが、ようやく理解できた。
初めから彼らには、こちらの言い分を聞く気などまるで無いのだ。
もう、怒りは感じなかった。ただ、悲しかった。
こんな茶番に付き合うことに、何も意味は無い。
金で解決できるのなら、もう、それでいいと思った。
これ以上無駄に衛を、傷つけたく無かった。

「分かりました。お金はこちらの方で全額お返し致します。それで気が収まるのなら、僕は構いません」

衛の顔色が、微かに曇った。
申し訳ないような、悔しいような、どちらとも取れる表情だった。
きっと僕も今、似たような顔をしているんだろう。

当然だと言わんばかりにふんぞり返るオバサンパーマを尻目に、僕は、ぎゅっと衛の手を握り締める。

「ただ、衛の名誉の為にこれだけは言っておきます。衛は、人様のお金を盗むような子じゃ無い。
 何を言われようと、この信頼だけは崩しません」










(・・・あと3日。どう考えても、間に合うとは思えない・・・)

カレンダーを見つめ、鞠絵は深いため息をついた。

とにかく花穂に限っては、始めるのが遅かったとしか、言いようがない。
本来マフラーというものは、編み物の中でもさほど難しい編み方を要しない為、指導者がいれば
小学生でも2・3週間あれば充分完成させる事が出来る。

だが花穂は、特に手先は不器用な上に、チアの放課後練習でクタクタになって帰ってくる日もある。
宿題の時間等を差し引くと、まともに編み物に当てられるのは、休日くらいのものだった。


―――――だから、花穂が初めて作ったマフラーを、お兄ちゃまにプレゼントしてあげたいんだぁ。


(最後までやらせてあげたい。でも・・・)

兄と妹の幸せの為に、自分が何をすべきか、その答は出ている。

昨日見たマフラーの長さは、まだ全体の半分にも達していなかった。
手伝うのならば、今日明日にでも始めなければ、完成させる自信が無い。
でももし仮に、花穂が自分の申し出を断ったら。

「今日、精一杯やって、思うように進まなければ・・・」

何かを、決意するかのような呟き。

(わたくしは・・・・・・誰も不幸になってほしくないから)

「許して下さいますわよね・・・、花穂ちゃん」










「全くもう。どうしてもって言うから、ついて来ていいって言ったけど、つっかかっちゃ駄目だって、
 あれほど言ったのに・・・」

「だって! ・・・・・・ごめんなさい、お兄様。我慢、出来なかったんだもの」

「まぁ、気持ちは分かるけどね」

「でしょう!? もう、頭にくるわ、・・・あの」

「・・・あの」

「「オバサンパーマ!」」

夕方の通学路に、僕と咲耶の笑い声が響く。
向こうから歩いて来ていた女子高生が、びっくりしたように僕らを見た。
暗い表情で、自分達の後ろをついて来る衛のためにも、僕らは笑っていたかった。
遥か先、住宅街の向こうに、太陽がその身を沈めていく。

やがて笑い声が消えると、咲耶は少しだけ淋しげに眉をしかめた。

「でも私・・・、先生の泣いてる姿なんて、初めて見たな・・・」

あの後先生は、帰り際の僕達を呼び止め、泣きながら謝り続けた。
咲耶と衛、2人の教え子の前で、大粒の涙が頬を伝い、アスファルトに染みを作っていく。
それは彼女が、どれだけ衛の事を考えてくれているかの表れでもあったと、僕は思う。

「ショックだった?」

「少しだけ。でもやっぱり、嬉しかったかな」

「そう・・・。僕も同じ」

やっぱり、今日の僕と咲耶はウマが合う。

その時、衛が歩みを止めた。
それに引っ張られるようにして、僕達もその場に立ち止まる。
衛はうつむいたまま、唇を強く噛みしめていた。
咲耶と顔を見合わせる。
爆発しそうな感情に、衛は必死に耐えているんだ。

「ごめんよ、衛」

僕は微笑みながら、言った。
衛がやっと顔を上げて、涙を溜めたその瞳が露わになった。

「辛い思いさせちゃったよね。・・・大丈夫だよ。僕は最後まで、衛を信じてるから」

静かに溢れ出した感情の雫を、僕は親指で優しく拭ってあげる。
同時に咲耶が、衛を後ろから抱きしめた。

「もちろん私も、ね。春歌も千影も鈴凛も鞠絵も、四葉に可憐に白雪に花穂、亞里亞に雛子に・・・
 それからミカエルにバニラだって、みぃーんなまとめて衛の事、信じてるんだから」

指折り数えながらの咲耶の言葉が先に進むにつれ、衛にも徐々に笑顔が戻っていく。

「僕達だけじゃない。石川先生もね」

咲耶が力強く、頷いた。

「そうよ。・・・だから、あんなオバサンの言う事なんて、気にする事、ないんだからね」

咲耶の温かく語りかけるような言葉に、衛が安堵の微笑みを宿した。

・・・でもきっと、明日からは。
噂が広まって、クラスメイト達から中傷を受ける事になるかもしれない。
僕は真っ直ぐ衛を見つめて、明日から学校をどうするか、尋ねた。
行きたくないなら、それでいいんだよ。
その言葉に、偽りは無かった。

衛は静かに、首を横に振った。

「・・・ボク、大丈夫だよ。あにぃ」

夕日に誓うように、衛が言った。
その姿は今までで一番、逞しく見えた。
自然と歯を見せて、笑っている自分がいた。

「急ごっか。今日の夕飯は、衛の好きなハンバーグだって。白雪がきっと、そわそわして待ってるよ」

衛の手を引いて、僕らは再び、沈み行く太陽に向かって歩き始めた。












ドアを開けたその先は、深い闇。
丑三つ刻とも言われている時間帯なのだから、それも当然だった。

食事部屋のコタツで、ネームの第1稿を一気にあげた僕は、少しの満足感を胸に、外の空気を吸いに出た。
賞をとってから一年以上経って、ようやくまた、手ごたえを感じることが出来ている。
今の自分なりに納得できるものが、描けそうだった。

冷たい大気を浴び、両頬がしまる。
遠く繁華街の灯を眺めながら、僕は一人、白玉荘の前にたたずんでいる。
今日一日の事が、頭を巡った。

(さて、どうしたもんか・・・)

2階の鈴凛と白雪の部屋から強い明かりが、まだ漏れていた。
問題集とにらめっこする鈴凛の姿を思いながら、空気を肺に、目一杯送り込む。
その時だった。

確かに僕の耳に、小さく震える泣き声が届いた。

(・・・・・・?)

微かに夜の世界に響く嗚咽を辿って、僕は食事部屋の隣りの部屋の前に立つ。
中の3人が無用心なのか、それとも他の理由があるのか、ドアの鍵は開いていた。
少しだけ開き、中の様子を探る。

「うぇぇん・・・・・・ひっく・・・・・・・・・どうしよぅ・・・」

花穂だった。
机の電球の薄明かりの中で、その小さな背中が震えていた。

「終わらない・・・終わらないよぉ・・・・・・」

花穂はマフラーを編んでいるようだった。
僕がミカエルと共に去っていく背後で、バレンタインの話をする花穂と鞠絵の姿が脳裏に甦る。
その時僕には、花穂の秘密が分かってしまった。

「うえええぇぇぇ・・・・・・うえええぇぇん・・・」

静かにドアを閉める。
悲痛な鳴き声に、僕は視線の先を夜空の月に頼った。
声をかけることが出来ない。

いくら努力したとしても、結果が出ない事だってある。
決意や、覚悟の全てが無に帰すことも。

だとしても僕は今、それらの全てを心の底から否定してしまいたかった。

「見捨てられちゃう・・・お兄ちゃまに・・・見捨てられちゃうよぉ・・・・・・」

唇を噛んで、僕はその場に座り込んだ。
立っていられなかった。
花穂の苦しみが、痛いほどに胸を刺す。


花穂の両親について、僕は養父から話を聞いたことがある。
花穂は別に、両親に捨てられた訳ではない。


ただその2人は花穂を、ひどく虐待していた。

生傷が絶えない花穂を見かねた隣人が警察に通報し、花穂は強制的に施設に保護される事になった。
両親に逮捕状が出た時、父親は重度の薬物中毒に陥っており、母親はヒステリックそのものだった。
自分達の行く末だけを心配し、花穂のことを気にかける様子も無かったという。
後から聞いた話では、花穂には2千万の保険金もかけられていたらしかった。

施設に預けられた当初、口を利けなかったほどの強いショックは、花穂の心に大きなトラウマを残した。
花穂は人に見放されることを、何よりも誰よりも怖れるようになってしまっていた。

ともかく僕が知ったのは、世の中にはそんな現実を背負っている子供が、花穂を含めて確実に存在し、
不幸な予感を抱えたまま、生きているという事だった。



月が大きく傾いた頃になって、部屋の中から泣き声が消えた。

ドアを微かに開けて中を覗くと、机に座ったまま眠ってしまっているらしかった。
僕は音を立てないように気を付けながら、花穂の元へ歩み寄る。
思った通り、花穂は机に顔を乗せ眠っていた。
小さな左手に握られたクリーム色のマフラーは、涙でぐっしょりと濡れてしまっていた。

(ホントに・・・ドジだな、花穂は・・・)

自然と微笑みがこぼれた。
ふと毛布をかけてやろうと思い立ち、僕はそろそろと押入れの方へと向かう。
足元の亞里亞と四葉は、何も知らない穏やかな顔をして深い眠りに就いている。
街を包む静寂が、空気を伝って肌に直接触れているようだった。

3人の寝息を聞きながら、押入れの襖を開ききったその時、部屋のノブを回す音が耳に入った。
僕は反射的に、そのまま押入れの中へとその身を隠す。

襖を閉めたのと、部屋のドアが開いたのは、同時だった。

隙間から様子を窺うと、華奢な人影が花穂へと近付いていくところだった。
顔の辺りで光が眼鏡に反射して、それが鞠絵だという事が分かった。

花穂の傍に立つと、鞠絵はハンカチで机の上の涙を拭い去る。
それから、眠りの中にいる妹の頭を優しく撫でると、もう一つの手でマフラーを掴んだ。



その姿勢のまま、動かない。

何をするつもりなのかは分からないけれど、僕は、彼女の決断をじっと待った。

どうしようと、その意思は正しいものだから。



しばらくして鞠絵は、小さく頷いた。
自分のカーディガンを花穂の背に預け、その肩に手を添える。
横顔が確かに一度、慈しむように微笑んだ。

作りかけのマフラーは、花穂の左手にしっかりと残されていた。

涙を吸い込んだ糸が光を弾いて、まるで、天女の羽衣のように。
キラキラとした、美しい輝きだった。

やがて机の明かりが消える。
僕はじっと息をひそめ、闇に動く影を目で追った。
鞠絵が部屋を出たのを確認してから、僕は、押入れから這い出た。

鞠絵が花穂に託したのは、確かな信頼ではないだろうか。
そんな気がした。

「おやすみ、花穂。風邪ひくなよ」

それだけ呟くと、再び月が照らす外の世界へ向かう。
僕が出来る事は、ただ一つ。

信じる価値は、信じてこそ、分かるのだから。










「それじゃあ、行ってきます、あにぃ」

スニーカーの紐を固く締めながら、衛が言った。

「うん。気をつけてな」

昇る日の光を背に受け、衛が満面の笑みを浮かべる。
元気良く走っていくその姿が、塀の向こうに消えたのと同時に、

「ふえぇぇん。お、遅れちゃうよぉ」

背後から飛び出して来たのは、花穂だった。
そういや今日は、チアの朝練があったんだ。

「お兄ちゃまぁ、行ってきまぁす」

走りながら花穂が、僕の方に顔だけを向ける。

「おーい、花穂、車に気をつけて」

「はぁーい」

こうして毎朝、次々と妹達を送り出す。
今日はいつにも増して、慌ただしい朝の風景だ。

「兄上様」

パジャマ姿の鞠絵が、ドアを開けて外に出て来ようとしているところだった。
登校時間にはまだ余裕があった。
でも今日は、鞠絵にはそんな事は関係無い。

「駄目じゃない、寝てなきゃ」

「ごめんなさい、ヒナちゃんがまだ・・・」

鞠絵は毎朝、同じ部屋の雛子を起こす役目を負ってくれていた。

「うん、いいよ。僕が後で起こすから。雛子、昨日はちょっと寝たの遅かったからね」

僕はそう言って、鞠絵を暖かい部屋の中へと連れる。
昨日寝たのが遅かったのは、鞠絵も一緒だ。
軽い体調不良を訴えたのは、無理も無い事だった。
微熱もあったから、今日は休ませることにしたのだ。

(僕も一緒に、14日を待ってるから)

「あんまり色んな事、気にしないで。ゆっくり休んで」

雛子の隣りに敷かれている布団に寝かせ、言った。
笑顔で頷く鞠絵に安心した僕は、布団を軽くポンと叩いて、玄関へ向かう。

「また、少し経ったら来るから」

時計と鞠絵を交互に見ながら、ドアを開ける。

「おう、おはよう」

不意に、聞き覚えのある声で、幾度となく聞いた挨拶を、僕は耳にした。
外に目をやると、少し先に、長身の男が立っていた。
ドアを閉め、僕は彼に近付いていく。

「唐突だなぁ、お前。来るなら来るで、電話の一本もよこせよ」

「固いこと言うなって・・・・・・。まぁでも、久しぶりだな」

そう言って男は笑った。
嫌味の無い、いい表情だった。
つられて僕も、顔が緩んだ。

「半年ぶり位か? ま、上がってけよ」






第10話に続く




あとがき

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
今回は、切ろうと思えば途中で切る事も出来ましたが、テーマのつながりを重視するために
1話でまとめました。
自分としては説得力という意味を考えているのですが、花穂の設定、やや重いですかね・・・。

ちなみに花穂の部屋の鍵が開いていたのは、一度花穂が息抜きに外に出て、部屋に戻って来た時に
閉め忘れていたからです。
そこまで描写しきれなかったので、恥ずかしながら、こちらで補足させて頂きます。

それでは、ご意見・ご感想もお待ちしております。
また次回、お会い致しましょう。


いちたかさんへの感想はこのアドレスへ
to-show@k6.dion.ne.jp

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