「それじゃ、結構楽しくやってるワケだ。その・・・シラタマソウで」
春の陽気の佇む、甘い昼下がり。
一二美の向かいに座る少女が、頷きながら言った。
ショートケーキの苺が、彼女のフォークの動きに合わせて、皿の上をコロコロと転がる。
「まぁね。みんな良い子たちだから」
窓際のテーブルからは水色の空がよく見えて、麗らかな雰囲気に甘い物もよく喉を通った。
一二美は言葉を返しながら、もう3個目になる苺のミルフィーユを、満足そうに頬張る。
平日の神楽山。
ブランド物の時計が静かに時を刻んでいく、そのカフェで洒落た時間を過ごしながら、彼女達はある人物を待っていた。
「それで、もう決めた?」
「何?」
「サークル。私はまた、フミとお芝居したいな」
少女が一二美を、小学生からのあだ名で呼ぶ。
テーブルの脇に置いてある携帯に貼られたプリクラは、2人が高校生の時に撮ったものだ。
「私も同じ」
アイスミルクでミルフィーユを喉の奥へと流し込んで、一二美は満面の笑顔を浮かべた。
「だからお世話になるね。由香のところに」
名前を呼ばれた少女が、ホッとしたように目を細める。
無理に勧誘しなかったものの、一二美はずっと一緒に演劇の道を歩んできた、確実に親友と呼べる存在だ。
自分が所属する演劇サークルに入って欲しい気持ちは、彼女の中でもちろん強かった。
「よろしくお願いします、先輩」
冗談ぽく頭を下げる一二美に、由香はムズムズと心をくすぐられるような喜びを感じた。
それは同時に、彼女の悪戯な心をもくすぐる。
「一年間、雑用係として、もんのすごく扱き使ってあげる」
「もぅ・・・」
一二美が口を尖らせ、恥ずかしそうに微笑う。
昔からの自分達は、今とちっとも変わっていない。
それが嬉しくて。
店にかかる題名の分からないクラシックが、軽やかに舞う小鳥たちの姿に合っていた。
「あ・・・。もしかして、彼?」
少しした時、首を伸ばした由香が、入り口のほうを見ながら言った。
開いた自動ドアから、普段着にしているパーカーを身に着けた青年が、店に入ってくる。
キョロキョロと自分達を探すその人影に、一二美はスッと立ち上がって手を振った。
「荘太ぁ、こっちこっち」
カフェ中に響くような声で名前を呼ばれ、少なからず客の注目を浴びた自分に、思わず荘太は苦笑いを浮かべた。
そのまま早足で、2人に近寄っていく。
「すみません。遅くなって」
由香の存在に引きずられて、荘太の言葉は他人行儀なものになった。
彼は、初対面の人間の前でいきなり己を表面に出せるほど、外向的な人間では無い。
「何かあったの?」
一二美は自分の隣の席を引きながら、言った。
人見知りの荘太の心中を察しているかは、分からない。
「咲耶が、あ、いや妹が、急に具合が悪くなったみたいで・・・」
「あ・・・、やっぱり」
「やっぱり?」
勧められた席に腰を下ろしながら、荘太が眉をしかめる。
「うん、後でね。それより、紹介するよ」
一二美はそう言うと、襟を正すようにイスに座り直した。
「前にも話したよね。小学校からの友達で、今は恥ずかしながら先輩の」
「北原由香です。はじめまして」
紹介された少女が会釈したのを見て、荘太も頭を下げる。
「佐倉荘太です。どうも、はじめまして」
「出来の悪い『後輩』が、いつもお世話になってます」
「頼りになる『先輩』が近くにいてくれて、助かります・・・」
由香と一二美の言葉の応酬に、荘太は遠慮がちに小さく笑った。
ウェイトレスが注文を取りに来たのは、そんな時だった。
「カフェラテを一つ」
メニューを開くまでもなく、荘太が注文を口にする。
頼むものは最初から決めていた。
「あと、苺のボンブ、お願いします」
身を乗り出し注文を加えた一二美に、由香が目を丸くする。
ウェイトレスが注文を書き込み、離れた。
「・・・オレの?」
「ううん。自分の」
「よく食べるねぇ」
呆れたような由香の言葉に、荘太は一二美の脇に積まれた皿の数を数えてみる。
1枚、2枚、3枚。
胸焼けがした。
「春の陽気と、小鳥たちに誘われちゃって」
一二美は冗談っぽくそう言うと、演技するように左手をそっと掲げ、窓の外へ目をやった。
クスクスと笑う2人に、まるで自分が場違いなような気がして、荘太は早めに本題に入る。
「・・・それで・・・」
ほぼ繰り返しになるが、彼は初対面の人間と軽快に雑談を交わせるほど、社交的な人間でもない。
「話って、何でしょうか」
「ゴールデンウィークに? 皆で?」
「うん」
僕は小さく頷いて、皿洗いの手を止め振り返った咲耶の、2つの問いに答えた。
咲耶は不自然なくらいにじっとしたまま、僕を凝視する。
何か、予定でも?
そう問いかけて、止めた。
「折角だから、皆で観たい映画を観たらいいと思ってさ」
流しっぱなしの水が勿体無いなと思い始めた頃、咲耶は作業を再開する。
「うん、そうね。・・・いいんじゃないかしら」
港のそばに新しくできたテーマパークの割引チケットを、部員の数だけツテで手に入れたんですが、
予想外に余ってしまって。
家族が大勢いると伺ったので、妹さんたちと一緒にどうでしょうか。
昼間、北原さんから聞いた話を要約すると、そういうことだ。
一二美を介してそんな話が来たわけだが、ゴールデンウィークの初日だし、折角だから皆で楽しもうと、
僕は有り難く頂戴することにしたのだ。
「まぁ、4月の終わりくらいになると思うけど。その方が少しは混まなくていいだろうし」
「・・・それって、一二美さんも一緒なのよね?」
「もちろん」
僕はきっぱり言い切って、中身を飲み干したコップを持って流しへ向かう。
「あ。あとチケットをくれた、北原さんっていう人もね」
咲耶の言葉の淀みを、特に気にすることはやめた。
下手に干渉したところで、無理矢理仲良くさせても仕方ないからだ。
―――――咲耶ちゃん、なんだか最近、体の調子悪いみたいなのよ。
12人分の皿の汚れを落とす妹の隣に立って、僕はコップを水に浸けた。
―――――学校の帰りも遅いし、夜も遅くまで起きてるみたいだから。
「うん・・・そうね。部活が、無ければ・・・」
ゆっくりと、言葉を選ぶように、咲耶は答えた。
「まぁ、結論は任せるよ。お皿洗いありがとう。それじゃ」
早口でそれだけ言うと、僕はそのまま玄関のほうへ向かう。
「あっ・・・・・・」
咲耶が何かを、言わんとした。それを分かっていながら僕は。
少しだけ、咲耶の心を突き放した。
作者:いちたかさん
「じゃあ、映画が終わったら展望台のテラスに集合ってことで」
4月27日。
往き来する人々の賑わいに、僕の声はかき消されそうになる。
ゴールデンウィーク初日の人入りは、思ったよりも盛況だった。
午前10時半に北原さんと合流した僕たちは、エントランスの傍の休憩所のベンチに腰掛けて、
映画の開始時刻を待っていた。
「このチケットが春歌で・・・、これが千影、これが一二美で・・・あとは僕」
僕は封筒の中身を確認しながら、チケットを回していく。
GWの帰省はまだ少し先になるという鈴凛と、友達とのキャンプに行く約束をしていた衛とを除いた
妹たちは、それぞれが観たい映画を観ることに決めた。
春歌、咲耶、可憐、白雪、鞠絵、一二美は定番のラブストーリー。
四葉と北原さんは法廷を舞台にしたサスペンス。
雛子、亞里亞、花穂は今大人気の、エミララちゃんという少女が主役の魔女っ娘アニメ。
特に観たいものが無い、という千影は僕のお願いで、年長者のいないアニメ映画のグループに
入ってもらうことにしたのだが、僕はといえば、ハッキリ言って何でもよかった。
というか、ラブストーリーは一緒に観るメンツの暴走が怖かったし、魔女っ娘アニメは付き添いとはいえ、
この年齢で特攻するのは少々辛い。
だから僕は、素直にサスペンスを観ることにした。
「つられて千影も、ハマっちゃったりしてね」
僕がそう茶化すと、千影は満面の笑顔の雛子たちと手を繋ぎながら、呆れたような目で、僕を見る。
「兄くん・・・・・・」
その不敵な笑みが、僅かな怒りを携えているようで。
「私を幾つだと・・・思ってるんだい・・・?」
「ははは。じゃあ、任せたよ」
僕はそれ以上の冗談は止しておくことにした。
(さてと)
時間になり、それぞれの方向へと散っていく妹たち。
笑顔と言葉を交わしながら。
雑踏の中にその姿が埋もれてゆく。
その光景に、僕は改めて人ごみが嫌いな自分に気付かされる。
そして、理由はそれだけじゃないかもしれないけど。
どうしてこんなに、気分が落ち込みそうになるんだろう。
「クフフフゥ、あ・に・チャ・マ」
突然、グイッと左腕を掴まれて、僕は少しだけ後ろにバランスを崩した。
「名探偵のウデの、見せどころデス!」
見れば、四葉の底抜けに明るい、吸い込まれるような笑顔。
僕はそれに、少しだけ救われたような気になる。
一人で考え込んでは、いけない。そう、気を取り直して。
「そうだね。行こうか」
右を歩く北原さんの事も、周りの目も気にせずに僕は、四葉の手をしっかりと握り締めた。
「・・・・・・! ・・・・・・・・・ッ!!」
強引に捻った蛇口から流れ出る水の音に、彼女の嘔吐の音はかき消された。
喉から口を通り、物が逆流していく不気味な感触。
呼吸すらもままならない状態に、じんわりと目頭が熱くなる。
早く全部出して、楽になりたい。そう願うことしか出来ない。
鼻を刺激する酸味が誘う妙な脱力感に、咲耶は思わず洗面台の両側に手をついて、肩を大きく上下させた。
(・・・・・・)
寝起きから自分にまとわりつく妙な吐き気に、映画館の環境は最悪だった。
瞳に重い刺激を与えるスクリーン。鼓膜を震わせる、ステレオのサウンド。
脳がじわじわと揺さぶられる苦痛に、胃の中の物が逆流を始めるまで、そう時間はかからなかった。
手洗いに文字通り駆け込んだ咲耶は、勢いそのままに洗面台に突っ伏していた。
あとは、なすがままに。
予め最寄りの場所を確認しておいたのは、不幸中の幸いだった。
フロアに汚物をぶち撒ける自分の姿なんて、荘太には絶対に。
絶対に見られるわけにはいかないから。
(・・・最悪。流石にちょっと、無理しすぎたかも・・・・・・)
開けっ放しの唇から、だらしない液体が糸を引いて、垂れる。
咲耶は洗面台を綺麗に洗い流し、ガラガラと口を濯いだ。
図らずも胃をすっきりさせた、その分の調子は持ち直していた。
「咲耶ちゃん・・・・・・大丈夫?」
不意に名を呼ばれ、咲耶は水を吹きこぼしそうになった。
入り口に立っていたのは、今、世界で2番目に会いたくない人。
「急に出て行くからどうしたのかと思って・・・。ね、一緒にどこかで休も? 私いい薬、持ってるから」
そう言って一二美は、バッグから手の平ほどの大きさのポーチを取り出す。
その中からは、咲耶にも見覚えのある薬の箱が姿を現した。
「私も使ってるんだけど、すごく効くんだよ? これ」
咲耶は唇をそっとハンカチで拭いながら、睨むように一二美を見つめていた。
嘔吐感が、ぶり返してくるのが分かる。
「・・・自分の、持ってますから・・・。結構です・・・」
「あ、そうなんだ・・・。そうだね、いつも使ってるやつの方が、いいもんね」
咲耶のいかにも気分の悪そうな言い方に、一二美がいそいそと、ポーチをバッグへと戻す。
「じゃあ、救護室に行って、少し休もう。私、場所知ってるから」
(・・・この人、何も分かってない)
憤りが湧いてくる。
どうしてこんなに、自分に構ってくるのか。
「ごめんなさい。私、・・・今日はもう帰ります」
咲耶の発言に、一二美は思わず「え」と漏らした。
「お兄様にも、そう伝えておいてください」
淡々と言いながら、一二美の脇を抜ける。
そのまま出口へと向かおうとする咲耶を、一二美は思い出したように追い始めた。
人気の無い廊下に、2人の足音だけが響きわたる。
「咲耶ちゃん、ダメだよ、少し横にならなきゃ。ねぇ、お願いだから待って」
一二美の声に合わせて、咲耶の歩調が早まる。
追いつかれたくなかった。
「避けようとしてること、怒ってなんかないの。私はただ、咲耶ちゃんが心配なだけ」
フラフラする体を必死にコントロールする咲耶に、猛烈な嫌気が差した。
治らない頭痛にも、背後の同居人にも。
そして、今まで彼女を意識的に避けてきたことを彼女自身に知られた今なお、体裁を繕おうと考える自分にも。
(やめて。お願いだから、ついて来ないで)
頭が熱を帯びたようにボーっとして、それ以上考えられなかった。
瞬間、右と左が分からなくなる。
(?)
左足を前に出そうとして、出なかった。
体から、力が消えて。
両方の膝をガクリと折り、咲耶は、前のめりに倒れこんだ。
「咲耶ちゃん? ・・・咲耶ちゃん!? ・・・・・・!」
自分に駆け寄る一二美の声が、遠くなっていく。
冷たい床の感触を頬で確かめながら、咲耶の意識は、深くに堕ちていった。
「ムムムムム・・・これは、ちょっとばかりハードな難問デス・・・・・・」
難しい難問、という言い回しはともかく、首を捻る四葉の隣で僕は、効き過ぎたクーラーに
少々頭を痛めていた。
「安心してください、兄チャマ! 名探偵四葉に、解けないナゾは無いのデス!」
僕の顔を覗き込んで目を輝かせる四葉。
うん。分かった。分かったから、もうちょっと声のボリュームを・・・。
映画のセリフに重なる四葉の声に、周りの視線が、ちょっと痛い。
少しして、僕は思い立ってトイレに行くような素振りで、席を立った。
別に四葉の声が原因では無いけれど、映画に夢中の四葉が、それに気付く様子は無かった。
重い扉を開けると、空気が変わって、蛍光灯の明かりが目に飛び込んでくる。
そのまま通路を進み、自販機の傍にある長イスに腰を下ろした。
僕は連続殺人の犯人にも、そのトリックにも、もう殆ど興味は無かった。
僕は、映画に優劣など存在しないと思っている。
観る人がそれぞれのフィルターを通して評価をするから、そこに差が生まれてくるのであって、
映画そのものの価値だけを考えたら、そんなものは存在しない。
この映画はくだらないから、観るべきじゃない。感動できるから、押さえておくべきだ。
それら評価は全て、マスコミの好む優劣付けの産物であって、また世間も判断材料を欲しがっているから、
需要と供給が成り立っているというだけの話だ。
だからといって僕は、観客が作品の評価をしない方が良い、と思っているわけではない。
彼らは映画を鑑賞する時に、対価を払っている。
それはお金であったり、時間であったり、考える脳であったり。
そうである限り、自己で判断し、評価する権利は確実にある。
もっと言えば、他者もしくは自分からの評価が無ければ、作品というものは存在する必要が無い、とも思う。
それは小説も、ドラマも、舞台も。もちろんマンガだって、同じだ。
そこに受け手がいるから、存在することが出来る。
送り手と、時には送り手自身をも含めた受け手とがあって、初めて存在する価値がある。
そうして誰かが受け取ってくれるから、僕は、マンガを描き続けることが出来ている。
「お疲れですか?」
不意の言葉に俯いていた顔を上げると、肉感的なデニムの曲線が目に飛び込んできた。
それがジーンズという衣類に包まれた、女性のフトモモだと気付いた僕は、瞬間的に自分を見失う。
さらに顔を上げると、北原さんの微笑む顔がそこにあった。
「クーラーが強くて・・・少し」
僕はやっと作った苦い笑いを返しながら、答える。
「実を言うと、私もそれでちょっと出てきたんです。お隣、いいですか?」
ええ、と言って、僕は自分の右側の空間を少し広げた。
北原さんが僕の内心を捉えているのかはともかくとして。
一人でいると、やっぱり物思いに耽ってしまう。
僕はやはり、そういう人間なんだなと、少し自嘲した。
「妹さんが12人なんて、・・・凄いですね」
隣に腰掛けた彼女は、肩にバラけた髪をそっと直しながら、言った。
「よく言われます。まぁ、色々ありまして」
「私は一人っ子だから、賑やかなのが羨ましいです」
「かしましいですよ。なにせ女の子が12人ですからね」
フフフ、と、彼女が小さく笑う。
「フミ、迷惑かけてないですか? あの子、昔から勢いだけで突っ走るところあるから・・・」
まるで保護者みたいな言い回しに、心の中だけで少し笑った。
僕も一二美に対しては、同じような気分になることが、失礼な話だけど結構あるから。
「いいえ全く・・・。いい刺激になってますよ」
「なるほど・・・・・・同感ですね」
身体にフィットした洋服の裾を軽くつまんで、彼女は言葉を続ける。
「役者としてのフミは、どうですか?」
「僕は・・・、5年くらい前に、一度観ただけですから、何とも・・・。北原さんは、どう思ってるんですか?」
「うーん・・・・・・。滑舌がまだ甘い」
ふいっと天井を見上げ、彼女は右手の親指を内に折った。
その横顔を見ながら、僕はとりあえず聞き入ることにする。
「タイミングをよく外す。役作りが遅い。何よりセリフ覚えが悪い」
人差し指、中指、薬指とが、順番に折られていく。
それから少し間を空けると、僕に笑顔を向けて、
「でも、自分の間をきちんと持っていて、照れが無くて、動きと感情の表現は私の目標。そんな感じです」
折っていた指を一つ一つ元に戻しながら、彼女はハッキリと言った。
「そうですか・・・」
「トータルイーブン。まぁ、良い所もあれば、悪い所もあり、ということで」
「ははは」
彼女がフォローのように言ったので、僕は思わず笑い声をこぼす。
ふと、中の四葉のことが、気になった。
そろそろ僕が隣にいないことに、気付く頃だろうか。
「そういえば、この前『はじめまして』って仰ってましたけど」
彼女の言う『この前』とは、神楽山のカフェで会ったときのことだろう。
僕は立ち上がる準備をしながら、続く言葉を待った。
「実は、初めてじゃないんですよ。会ったの」
悪戯そうな笑顔で、彼女が笑う。
いぶかしむ僕の携帯電話が、ブルブルと震え出したのは、そんな時だった。
咲耶が目を覚ましたのは、僕が知らせを受けて救護室に到着してから、30分ほど経った頃だった。
数秒、視線を天井に彷徨わせてから、やがて咲耶は真横の丸イスに座っている僕を捉える。
「心配させないでよ」
咲耶が何か言うより先に、僕は若干厳しい言葉を口にした。
表情は笑顔を、崩さないままにして。
「・・・・・・ごめんなさい」
咲耶が珍しくシュンとして、目を伏せた。
僕は小さく息をついて、布団の中の咲耶の手をしっかりと握りしめる。
「ま、大事にならなくて良かった。色々具合が悪いのが重なったみたいだけど、一番の原因は
貧血だってさ」
咲耶がすがるような瞳で、僕を見つめる。
僕は言葉を付け加えて、咲耶の反応を試してみることにした。
「一二美が色々と世話してくれたみたいだよ」
咲耶の表情に変化は無い。
ただその、変化が無い、ということ自体が、僕にとっては答えに等しい。
「・・・・・・一二美さん・・・」
「ああ」
咲耶は分かっている。
自分の感情がただの嫉妬であることも、一二美が嫌うべき相手では無いことも。
そんな自分の非が分かっていても、どうしても前向きな付き合いができないことも。
理性的にはその人のことを嫌いたくないのに、感情や性情がそれを許してくれない。
そうして、そんなジレンマを一人で抱えていると、やがてその人のことが本当に嫌いになってしまう。
葛藤に耐え切れずに、結果、嫌いでいいと、思ってしまう。
そうなりかけている状態が、今の咲耶だ。
「悪い奴じゃないのさ、あいつは。分かってるだろ?」
僕はなるべく感情を抑えて言った。
言葉が返ってきたのは、少ししてからだった。
「・・・・・・一二美さんは・・・」
「外にいるよ。お礼言うなら、呼んでこようか?」
少し考えるようにしてから、咲耶は小さく、首を横に振った。
「そう。分かった」
2人の問題は、あくまで2人で解決するべき。
そう思うから僕は、今まで余計な口は挟んでこなかったし、これから先する気も無い。
だから僕は代わりに、ちょっとだけ背中を押すことにした。
「最近、帰りが遅いし、調子も悪そうだし。どうしたんだろうってさ」
「え?」
僕は咲耶の顔は見ずに、立ち上がった。
このままテラスへ出て、外の空気を吸うつもりだった。
「あいつも手探りだよ。みんなと仲良くなりたいから」
「こんにちはー」
荘太が部屋を出て行って少しした頃、突然、救護室に明るい声が響いた。
ベッドに横になったままの咲耶が声のしたほうを見ると、避けてきた同居人が小さな封筒を持って立っていた。
「ごめんね、突然。ちょっとお話したいことがあって。今、大丈夫?」
近付いてくる一二美に咲耶は思わず、目を背けそうになる。
それを必死に押さえて、咲耶はコクリと頷く。
「はい・・・。もう気分は、悪くないですから・・・」
「良かった・・・」
一二美が、さっきまで荘太の居た場所に腰を下ろして、ホッと胸を撫で下ろす。
咲耶は荘太の言葉の意味を考えていた。
一二美を避けてきた理由は、何の根拠も無い、自分の一方的な嫉妬だけだ。
そして、彼女は自分達をきちんと見ていて、心配もしてくれている。
だから、言わなければならない言葉はもう、決まっていた。
「・・・・・・今まで、ごめんなさい・・・」
「いいよ、気にしないで」
一二美は咲耶の言葉に、すぐさま返事を返す。
「私、結構頭悪いから。そういうのあっても、すぐ忘れちゃうし、尾なんて引かないの。
それに、もとはと言えば私がアパートを見つけてないのが、悪いんだしね」
一二美が明るく笑う。
あくまでも自分に優しく投げかける言葉に、咲耶の目蓋は思わず熱を帯びた。
「一二美さん・・・・・・。お話って、何ですか・・・?」
咲耶に言われて、一二美は思い出したように手に持っていた細長い封筒を開ける。
中から出てきたのは、赤い色合いが目立つ、チケット。
その2枚のうちの1枚を渡された咲耶は、その字面をまじまじと見つめた。
欲しかったけれど、手に入れられなかったチケット、まさにその物だったから。
「これ・・・・・・」
「ちょっとしたツテでね。2枚、取ってもらったんだ」
身を乗り出して、一二美が言葉を続ける。
「私もね、咲耶ちゃんと同じ、早瀬容子のファンなの。地方に来るなんて、珍しいよね。
よかったらその日、一緒に行かない?」
ハッと驚いた顔を一二美に見られて、咲耶はちょっと恥ずかしくなった。
彼女は微笑みを浮かべたまま、自分の心を捉えて離さない。
「咲耶ちゃん、一生懸命、頑張ってるから。いい想い出になればと思って」
咲耶がゆっくりと、身を起こす。
自分が荘太にも内緒でやっている事を、彼女は知っていた。
協力してもらうために、千影と春歌にはその事は教えてあったから、おそらくどちらかから聞いたんだろう。
でもそれがもう、悔しくも何とも無かった。
「一二美さん・・・」
「なぁに?」
咲耶の頬に、スゥッと涙が、流れ落ちた。
「・・・・・・ありがとう」
「ありがとな」
展望室のテラスには、遠くから良い風が吹いていた。
まだ映画の上映時間中だからか、周りに人影は無く静かで、下のほうの喧騒がまるで嘘みたいだった。
「うん?」
「まぁ、色々さ」
ベンチに並んで腰掛けた僕と一二美は、太陽の光を浴びながら、言葉を交わした。
遥か遠く、街並みの向こうに、富士山が見える。
「なあ、咲耶と何、話したんだ?」
自分で言っといて何だけど、野暮な質問だな、と思った。
「それは、内緒。いつか咲耶ちゃんが自分から話す日を、楽しみにしてて」
目を細めてそう言う一二美に、僕はもう、追究する気など起こらなかった。
「そうするよ。何はともあれ、万事解決だな」
「良かった良かった」
一二美は感慨深げにそう言うと、ゆっくりとベンチから立ち上がる。
「・・・本当に、良かった・・・・・・」
独り言のように呟いて、一二美は控えめに息を吐き出した。
目を細め、空を見上げて。
そのまま少し先へ、静かに一歩一歩を踏み出す。
一二美が大きく、胸を膨らませた。
「人はまるで、嵐に向かう舟のよう」
凛々しさを携えた言の葉が、風に乗った力強い声が、広がる街並みに降りそそいでいく。
僕は一二美の始めた演技に、そのままじっと見入った。
「越え行く波に、勇気を綴り」
白い腕が、細い指先が、滑らかな動きで僕に、荒々しい波を連想させる。
「潮騒の内に、安息を求める」
それはまるで、細かな踊りにも見えた。
精一杯の舵を取る、一二美という名の舟。
「私はこの、頼りなき小さな舟をこぎ続けよう」
両腕をいっぱいに広げ、一二美が世界を呑み込もうとする。
街並みと、白い富士と、水色の空とが、一斉に油絵のように滲んで。
「苦難を生の、証として」
一二美が僕と作り上げた、刹那の舞台。
その終焉に、僕は心の中でささやかな、拍手を送った。
北原さんが評した役者としての一二美を、確かに目にしたと思った。
「さすが」
「ふふ、ありがと」
温かい笑みで、一二美はゆっくりと、振り返った。
時計台から響く鐘の音が、耳に届いてくる。
「ところで、皆は?」
「ああ、ここだって伝えてあるから、時間的にもそろそろ来るんじゃないか?」
立ち上がって、辺りをキョロキョロと見回してみた。
ふと気付けば、遠くから近付いてくるのは、千影たちだ。
「お、来た来た」
僕たちの姿を見つけ、まず雛子が、それから花穂が亞里亞の手を引いて、駆け寄って来る。
それぞれをしっかりと受け止めて。
最後にゆっくりとやって来た千影の両手には、いっぱいのエミララちゃんグッズが抱えられていた。
「って、メチャメチャ買っとる!?」
「いや・・・これは・・・・・・ヒナちゃんが・・・どうしてもって・・・言うから・・・・・・」
「えぇーー?」
雛子が眉をしかめて、否定的な声をあげた。
「ヒナ、そんなに買って買ってって、してないよ? チカねえたまのほうがモガ」
千影に思い切り口を塞がれ、雛子が苦しそうにもがく。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
気まずい沈黙が流れた・・・ような気がした。
「いや・・・でも兄くん・・・あれは・・・近年稀に見る・・・・・・傑作だよ・・・」
気を取り直すように、千影が一つ、咳払いをして言葉を続ける。
「きっと・・・魔女界でも・・・一大センセーショナルさ・・・フフ・・・フフフ・・・・・・」
「そう・・・。まぁ・・・、深く詮索しないでおくよ・・・」
僕の言葉に、千影はクールに笑うだけだ。
「ところで・・・兄くん・・・・・・咲耶くんは・・・大丈夫なのかい・・・?」
何故千影が知っているのかは、特に気にしなかった。
千影には恐らく、そういった事を把握する力があるのだ。
僕は一二美のほうをチラと窺って、小さく頷いた。
「そう・・・・・・良かった・・・・・・」
ホッとしたような千影の後頭部に、無機質な笑顔の魔法少女のお面を見つけた。
「ねぇ・・・兄くん・・・・・・これはあくまで・・・この子たちのためなんだけど・・・・・・」
不意に千影が、花穂と、亞里亞と、雛子の顔とを順番にチラチラと窺いながら言った。
微妙に顔を赤らめる千影を見つめたまま、僕はケータイを取り出す。
簡単に時刻を確認して、もうある程度予想のつく、後の言葉を待った。
「・・・もう一回・・・観てきても・・・・・・いいかな・・・・・・?」
第16話に続く
あとがき
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
前回から1話完結を心掛けて作っているのですが、これがやっぱり難しいです。
まあ単純に、1話分なら1話分に適した内容や文章量を考えるのがヘタクソなだけなのですが(苦笑)ともあれ、咲耶と一二美も仲良くなってメデタシメデタシ。
ということで機会がありましたらまた、次回、お会いしましょう。
いちたかさんへの感想はこのアドレスへ
e-lovin0426@y7.dion.ne.jp
トップへ SSの部屋へ