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――――――――――――


「鞠絵は案外、早くデビューできるかもな」

「何ですか? 突然」

僕はアシスタントの手を止めて、平悟さんの発言に応じた。
平悟さんも手を止めて、僕を見る。

「鞠絵が昨日、小説を持ってやって来た。なかなか度胸があるな。俺に感想を聞いてきたよ」

僕の心に、急速に不安が広がっていく。
平悟さんの批評は、まだ鞠絵には早すぎる。そう思ったから。

「安心しろ。俺個人の感想は言っていない。世間がどう見るかを分析したつもりだ。悪くなかった」

平悟さんの言葉に、僕はやはり、重い引っかかりを感じた。
この場合の「悪くなかった」とは、まさに平悟さんの言うところの「世間がどう見るか」であって、
彼自身の意見として取ったとしたら、それは皮肉を込められた言葉へと変わる。

「お前の歳の頃には、立派に金を稼いでるかもな」

「鞠絵の目標が叶うなら、それに越したことはないですね」

僕はほんの少しだけ、言葉に反抗的な意味を込めた。
なるべく感情を見せず、まるで取って付けた返事だと聞こえるようにして。
そんな僕に言葉を返してきたのは、平悟さんではなく、今日も襖を隔てた隣の部屋でくつろぐ、禄郎だった。

「優しいお兄さんは、んな事より悪い虫がつかないかどうかの方が、気になるんだろ」

「そんなにモテるのか、あの子は」

2人が僕に注目する。
僕は返事に困ってしまった。
禄郎はともかく、何で平悟さんまで。

「さぁて・・・・・・。どうなんでしょうねぇ・・・」

ぼんやりとした返事をしながら、僕は記憶を甦らせていた。

鞠絵と僕の、この十日間の記憶を。










3月29日。

共同部屋の扉を開けた僕を待っていたのは、まだ生地の匂いが強く残るセーラー服に袖を通した、
白雪と衛の真新しい姿だった。
僕は思わず、冷やかしの口笛を鳴らした。

「初々しいね」

「若さよね」

咲耶がテーブルに頬杖を付いたまま、僕の言葉に相づちを打つ。
そのアンニュイな表情に、思わず僕は、

「何を急にオバサンくさいこと言ってんの?」

とは、言えなかった。

「ボク・・・似合ってるの・・・かな・・・?」

衛の発言に僕は改めて、上から下までその姿を眺める。
女の子なのだからもちろん、おかしい事など何もないのだけれど、それでも衛のスカート姿というのは
少し違和感があるような、言い換えれば新鮮味に溢れていた。

「馬子にも衣装ってやつかな」

「マゴ・・・?」

衛がきょとんとする。

「あ、いや、要するに可愛いってことさ」

僕は慌てて言い直した。
意味を知ったら、衛は何て思うだろう。

「にいさま、姫はいかがですの?」

白雪がスカートをひらひらと揺らしながら、僕の前に躍り出る。
隠そうともしない膝こぞうを目にして、僕は、

「もう少しスカート長くしてもいいんじゃない? 咲耶じゃないんだから」

とは、やっぱり言えなかった。

「白雪はほら、何てったって『姫』なんだから。言わずもがなだよ」

「モガナ・・・?」

「あ、いや。・・・要するに可愛いってこと」

咲耶がクスクスと笑っているのが分かる。
僕が一つ咳払いをすると、まるでそれを合図にしたかのように玄関の扉が開いて、
妹たちがなだれ込むように入ってきた。

そこには、緑色のカバーの、ぶ厚い本を手にした鞠絵もいた。

「あれ、鞠絵。図書館?」

黄色い声を上げながら白雪と衛を囲む妹たちを他所に、僕は鞠絵にそう声をかけた。
メガネの奥の瞳を大きくさせて、鞠絵はゆっくりと頷く。

「はい、あの・・・兄上様・・・。どうしてお分かりに・・・?」

本を手に持ってるからとか、そろそろ図書館が開く時間だからとか。
他にもあるけど、一番大きな理由は。

「だって、そのワンピース」

僕は、鞠絵の体を包むライトブルーの布を指差す。

「図書館に行くときは、大体着てくからさ」

「お気に入りなのよねぇ、それ」

そう言って入ってきたのは、いつの間にかイスから立ち上がっていた咲耶だった。
咲耶は妙にニヤニヤしながら、言葉を続ける。

「お昼には一度、帰ってくるんでしょ?」

「ええ。・・・・・・2人とも、よくお似合いですね」

僕と咲耶は、鞠絵の目線と言葉に合わせて、後ろを振り返った。
紺のセーラー服の2人が、照れたように笑っている。
少しの間、その様子を眺めた。

「・・・では、行ってきます。兄上様」

「ああ。行ってらっしゃい」

鞠絵が外に出ると、軒先でおとなしく待っていたミカエルが、ワンッと一声上げた。
僕と咲耶も、見送りに外へ出る。

「気をつけてね」

僕の前に一歩出た咲耶に、鞠絵は丁寧に頭を下げた。

「はい。行ってきます」

ミカエルが鞠絵の傍に、ピタリと寄り添う。
鞠絵の背中が、徐々に遠く、小さくなってゆく。
僕は、ふと思ったことを口に出した。

「ねえ、もしかしたら鞠絵さ」

「うん?」

咲耶は僕に背を向け、鞠絵の後ろ姿を目で追ったまま返事をした。

「好きな人でも、出来たのかな」

僕の軽い口調に合わせて、咲耶が勢い良く振り返った。
まるで、宇宙人でも見つけたみたいな目で。

「ぇええ!?」

「ほらよく・・・好きな人が自分に気付くように、そういうことするっていうじゃない」

ハァ、と咲耶が大きく、嘆息する。
僕はまだ、自分が言ったことの間抜けさには気付いていない。

「まったく、お兄様ったら」

咲耶がフッと、呆れたみたいに笑った。

「そんなわけ無いじゃないの、もう」


シスプリ劇場 金魚鉢が観た家族

第14話 鞠絵の世界

作者:いちたかさん


――――――――――――


「またまた。無関心なフリしやがって」

気の無い返事をした僕に、禄郎は得意気に笑って言った。

「可愛くて、優しくて、世間知らずで。俺の見たところ、悪い男に騙されるタイプだな、ありゃ」

そんな、無責任なことをほざく。
こいつの言う『悪い虫』とか『悪い男』というのは、きっとこういうデリカシーの欠片も無い奴のことを指すのだ。

「お前よりは間違いなくしっかりしてるよ、鞠絵は」

僕は害虫、もとい禄郎に向かって、ぴしゃりと言い切った。

「ああ。そりゃそうだ。しっかりしてるよ、あの子は」

それだけ言って寝転がった禄郎を尻目に、僕と平悟さんは再び原稿用紙に向かう。

「・・・それで」

少し間をおいて、僕は恐る恐る口にした。

「平悟さん個人は、どう思いましたか」

僕は、鞠絵の小説のファンだ。
平悟さんの本心を、知っておきたかった。

「・・・そうだな・・・・・・」

平悟さんは、少し考えてから動かしていたペンを止めた。

「あの子の小説は、体制に呑まれている」

平悟さんが僕を見ているのが分かって、僕も顔を上げる。

「創作は本来、疑問から始まるものだ。否定にしろ肯定にしろ、疑問からスタートする。
 あの子はまだ、疑問を苦痛としていない。システムや風潮、現実の世界に苦しんでいない」

鞠絵の創る物語の世界は、良心的で、包容力があって、いい人が多く出てくる。
優しい世界だ。

逆から言うと、現実味が無くて、甘ったるくて、偽善者ばかりが出てくる。
都合のいい世界だ。

「誰かさんのマンガに似てるな」

平悟さんが、ニヤリと笑う。
若干、耳が痛かった。

「小難しい事ばっか言ってんじゃねえよ。よく飽きねえな、お前ら」

禄郎の茶々を、平悟さんは完璧に無視して言葉を続ける。

「だが、あの子が俺やお前のようになる必要は、どこにも無い。甘さや青さが武器になるのなら、それが一番だ。
 ゆっくり育てばいいと思うよ」

響きに、妙な違和感を覚えた。
こんなフォロー、僕はしてもらった憶えは一度も無いんですが。
同じように意外な顔をしていた禄郎と、思わず目を合わせた。

「何だか随分と、鞠絵には甘いんですね」

「何だ、お前拗ねてるのか」

平悟さんの言葉に、襖の向こうから禄郎の押し殺した笑い声が聞こえた。
僕は呆れたようにため息をついて、三たび、原稿用紙と向かい合う。

「勘弁してくださいよ・・・」

来客を知らせるインターホンの音が響いたのは、そんな時だった。










4月1日。


「うん、これでお仕舞い。目、開けていいわよ」

咲耶の声に、鏡台の前に座る鞠絵がそっと、目蓋を開く。
鏡の中でぼんやり佇む自分の姿が、一瞬、他人に見えた。

「どう? カンペキでしょ。鞠絵なら絶対、綺麗になると思ってたのよ、私」

最初はあまり、乗り気じゃなかった。
咲耶の言葉に、上手く乗せられたような気もしたけれど。
女は化粧で、変わるもの。
それを自分の身を以って体験した鞠絵は、言葉を完全に失ってしまっていた。

「鞠絵ももう15歳になるんだから。こういう事、少しずつでも始めてかなきゃ、ダメよ」

鏡の中の自分を見つめ、瞳を大きくさせたままの鞠絵に、咲耶は自分の言葉があまり届いていないことに気付く。

「お兄様も、これできっと鞠絵のこと、今までと違う目で見てくれるようになるわね」

咲耶の目論みは成功だった。
鞠絵が、ぎょっとしたように我に返ったからだ。

「わ、わたくしは・・・そんな・・・・・・」

「いいのよ、私には隠さなくっても」

咲耶の手の平が、鞠絵の肩をポンッと叩く。

「お兄様って、スルドいようでニブいもんね。あの服のことも、私はちゃんと、憶えてるわよ」

黒に輝く、なめらかな髪を梳きながら、咲耶は言葉を続ける。

「お兄様、早く気付いてくれるといいわね」

鞠絵の頬が、徐々に紅くなってゆく。
今、荘太を前にしたら、どんな大胆な自分にもなれるような気がした。
眼鏡を外し、背伸びした自分を見たら。

(兄上様は、なんて仰るかしら)

鞠絵は穏やかに微笑みながら、コクリと頷いた。

「失礼しまーす」

コンコン、とノックの音がして、玄関の扉が開く。

「わぁ・・・」

入ってくるなり感嘆のため息を漏らしたのは、2週間ほど前からの同居人、一二美だった。

「鞠絵ちゃん、すごい綺麗。見違えたわね」

鞠絵がまた、照れて笑う。

「咲耶ちゃんが全部やったの?」

「何かご用ですか?」

咲耶は一二美を見ずに、化粧道具を片付けながら言った。

「うん、お兄さん、いるかなと思って」

「兄上様なら、今日は朝から、姉上様と一緒に浜松に行っておりますけれど・・・」

「浜松? ・・・・・・あ、そっか。鈴凛ちゃんとね。そうなんだぁ、残念」

「何か?」

咲耶はもう一度、さっきより短い質問と感情をぶつける。

「うん、いいのいいの、こっちの話だから。ねぇ、咲耶ちゃんって、お化粧、得意なんだね」

(こっちの話って、何よ)

のけ者にされているような気がして、咲耶は改めてムッとした。
自分でも不思議なくらいに、苛立ちが湧き上がっているのが分かる。

「ありがとうございます」

「私にも教えてほしいなぁ」

「年上の人に教えてあげられるほど、上手じゃないですから」

「うーん。私は上手くない、というより、下手なんだよね・・・。ね、良ければ今からでも、いい?」

咲耶はチラリと、一二美の様子を窺った。
彼女も自分を、見ている。
もう、ここから出て行こうと思った。

「・・・ごめんなさい。私、そろそろお買い物に行かなくちゃ。鞠絵、お兄様が帰ってくるまでには、
 きちんと落としとくのよ。お兄様は、お誕生日にびっくりさせるんだから」

咲耶は化粧箱を抱えたまま、一二美の脇をするりと抜ける。

「あの、咲耶ちゃん? 買い物なら、私も・・・」

「それじゃ、失礼します、一二美さん」

言葉の勢いそのままに、一二美の目の前で、扉が閉まる。
きょとんとする鞠絵の目も気にせず、一二美はどこか知らない場所に一人取り残されたような、苦い笑いを浮かべた。

(参ったなぁ・・・)










4月2日。


僕と鞠絵は、血の繋がった兄妹だ。
と言っても完全な、ではなく、父の方のだけ。
僕の父は、様々な女性と付き合いを重ね、そして捨てていった。
鞠絵の母親はそんな女性の中の、一人だった。
もちろん鞠絵は、そんな事は知らないけれど。

鞠絵の母親は、鞠絵を産んですぐに、亡くなった。
もともとお産に耐えられる体じゃ無かった。
彼女には昔から遺伝子が受け継いできた、大きなハンデがあったからだ。
そしてそのハンデは、ご丁寧に彼女の娘、鞠絵にもしっかりと受け継がれることになった。

急激な体力の消耗、ストレスに耐えられない、ガラスの心臓。
それが鞠絵がまだ生後6ヶ月の時に背負わされた、重い十字架だった。
一生つきまとう死の恐怖を、鞠絵はその小さな体に叩きつけられたのだ。


鞠絵は優しい娘だ。
命の尊さを知っている。
命があることの幸せを、誰よりも噛みしめながら生きている。

けれど。



「・・・私、咲耶ちゃんに嫌われちゃってるのかなぁ・・・・・・」

「何が?」

衣装ケースに詰め込んであった文庫本を掘り返しながら、僕は一二美の呟きに答えた。
しかし、返って来たのはストライクでもボールでも無い、微妙な言葉。

「うーん・・・。あれは絶対、そうだよねぇ・・・」

僕は手を動かすのをやめて、一二美のほうへ顔だけ向ける。
一二美が見つめる窓の先に、ぼんやり光る小さな月を見つけた。

「何だよ、冷たくでもされたか?」

本人に悪気は無いと思うのだが、一二美は昔から、独り言がでかい。
自意識が強いからだと勝手に思っているのだが、周りにいる人間としては、話しかけられているのか、
自問自答しているのか、判断に困る。

「まぁ・・・ちょっとね・・・」

「変な意地張ってるだけじゃないの? ・・・・・・分かんないけどさ」

僕は再び、本の山に目を落とした。
タイトルを目にするたび、僕の部屋によく、本を借りに来た鞠絵の姿が浮かぶ。



―――――誰も不幸にしたくない。世の中の人、みんなに幸せであって欲しい。そう思うんです。

鞠絵は以前、僕にそう言ったことがある。
それがどこまで本気なのかは分からない。
けれど鞠絵のことだから、恐らく100%本気の言葉と考えて、いいだろう。
だとすれば僕は、それに対して否定的だ。
生の後ろには死が、幸福の裏には不幸が必ず存在している。
そうやって世の中のバランスが、取れている。

鞠絵は見えていないだけだ。
命の尊さに囚われすぎて、幸福の定義が人それぞれであることも、世の中に不幸な生があることも、見えていない。
また、それらを差し引いたところで、そんな都合良くいく話があるとは、僕には到底思えない。
創作の世界ならともかく、現実の人間が残らず幸せを感じるなどということは、絶対にありえないから。



「私に荘太のこと、取られちゃうと思ってるのかな?」

(そんなとこだろうね)

口から出かけた言葉を、呑み込んだ。

「さあて、ねぇ・・・」

「咲耶ちゃん。荘太のこと、よっぽど好きなのね」

知ってるよ。
咲耶どころか、妹たち全員の気持ちは分かってるつもりだ。
けれど、たとえ義理でも兄妹である以上、僕がその気持ちに応えることは無い。
いや、よしんば兄妹のしがらみから抜け出したとしても。

「ごめんね、私の問題だもんね。自分で何とかしてみる」

パンッと手の平の強く合わさる音がして、勢いのいい言葉が続いた。
一二美はそのまま僕の隣まで来て、張り切った素振りで文庫本を漁り始める。
よく分からないけど、何だか自己完結したみたいだ。

「あ、これ。向田邦子もらっていい?」

僕は衣装ケースから離れると、一二美が座っていた窓際のイスに、代わりに腰掛けた。
読み終えた本をあげると言ったのは僕だ。
その言葉に、何の偽りも無かった。

「言ったろ。何冊でもお好きなように」

サッと黒い影が月を隠して、窓がガタガタと音を立てる。
雲の流れが、速い。
明日の予報は、たしか大雨だった。


コンコン、と音がして、玄関の扉がゆっくりと開いた。
雛子が一人で枕を抱いて入ってきたので、僕は少しびっくりした。

「どうしたの? 眠れないの?」

僕が尋ねると、雛子は眠たそうに目をコシコシとやってから、僕の傍まで駆け寄る。

「どうしたの?」

僕はしゃがんで、雛子の顔の傍まで耳を近づけた。
いつものお日さまのような笑顔とは違う、曇り空の瞳が、僕に向かって語りかける。

「あのね、おにいたま。マリねえたまがね」

一二美が僕らのほうへ、顔を向けた。

「おでんわのあとに、えーんえーんって、してたの」










――――――――――――


「こんにちはー」

インターホンに続いたのは、跳ねるような高い声。
僕はもちろん、禄郎も平悟さんもその正体を知っている。

「・・・来たみたいだな」

「何だよあいつホントに来やがった。めんどくせえなぁ」

禄郎が言葉どおりの態度で立ち上がり、玄関へと向かう。
ドアが開いたのか、部屋の空気が変わったような気がした。
僕は後に残しておいた、大ゴマの背景に取り掛かる。

「おじゃましまーす」

一二美の声は、僕と平悟さんのいる奥の部屋まで良く通った。
足音が近付いてきて、一二美はすぐに、僕たちの姿を見つけた。

「こんにちはー・・・。お仕事中、失礼しまーす・・・」

一二美が、小声で様子を窺うように挨拶する。

「よぅ」

僕が自分の作業を中断させて返事をすると、平悟さんも一二美のほうを見た。

「お久しぶりです。佐々木さん」

「ああ」

平悟さんは軽く会釈だけして、また、机に向き直る。
僕は自分が、一二美の相手をするのだなと思った。
別に彼は一二美を、嫌っているわけではない。

「わっ、すごい。これがプロの生原稿?」

一二美が僕の机の近くまで来て、声を上げた。

「私、初めて見た。雑誌で見るより、ずっと綺麗なんだね」

普段、荒い印刷技術で刷られたマンガ雑誌を目にしている人が、直接プロの生きた原稿を前にした時、
大抵似たような感想を持つ。
僕は初めて平悟さんの完成原稿を見た時、その美しさに声が出なかった。

「なんか透き通ってる感じがする・・・。流石はプロ」

「ほら、喋ってねーで、とっとと行こうぜ」

禄郎が頭を掻きながら、のろのろと戻ってくる。
一二美がここへ来た理由は、自分の部屋に必要なものを一気に買い揃えるためだ。
大荷物になることは明白なので、車が必要になる。
となると、白羽の矢が立つのは一人しかいない。
平悟さんは滅多に、自分の用事以外のために車を運転をしなかった。

「え? もう?」

「文句あるなら、車出してやらねーぞ」

しゃがみこんで一息つこうとしていた一二美に対し、禄郎はそんな乱暴な言葉を返した。

「またまたぁ。助手席に女の子が座るんだから、それだけでありがたいと思わないと」

一二美も負けじと、満面の笑顔で応じる。
禄郎は別段否定もせず、諦めたように舌を出しながら、テーブルに置いてあった車のキーを
ズボンのポケットに押し込んだ。

「何がそんなに嬉しいんだか・・・」

「一度きりの人生だもの。そうやってポジティブに考えなきゃ」

僕は思わず噴き出しそうになった。
一二美に皮肉を言われたような気がして。

「夕方っからバイトがあるんだ。時間が無くて買い物が済まなきゃ二度手間になるから、言ってるんだよ」

「そうなの? ごめん。じゃあ、行こう」

禄郎が自分に対して気を遣っているという事に気付いて、一二美の態度が急にしおらしく変わった。
おそらく、禄郎の乱暴さが照れ隠しだったことにも、気付いただろう。

「バイト、何時からなの?」

一二美が禄郎を急かすようにして、バタバタと玄関へ向かう。
原稿と向かい合った僕には、2人の言葉の応酬はもう、不明瞭にしか届かない。

「それじゃあ、いってきまーす」

声に続いて、そっと、玄関の閉まる音がした。
やかましい2人が去ってホッとしたのか、平悟さんが大きく息を吐き出す。
僕は集中を取り戻して、慎重に、都会のビル群を原稿に完成させてゆく。

「それで・・・」

しばらくして、僕が全ての作業を終えると、平悟さんが呟くように言った。

「鞠絵はもう、大丈夫なのか」










4月3日。


「鞠絵、ちょっといいかい?」

大雨の日は、妹たちは一日中、一階の共同の部屋に集まっていることが殆どだ。
一人でいると、雨に閉じ込められて、取り残されてるみたいで怖いから。
誰かがそんな事を言っていたような気がする。
だから、鞠絵と雛子が暮らす部屋には机に向かっている鞠絵が、一人だった。

「ごめんよ、書いてる最中に」

「あ、いいえ。丁度、休憩しようかと思っていたところですから」

鞠絵は大学ノートをたたむと、ふぅ、と息をついて立ち上がり、テーブルの方へ向かう。

「昨日は、結構夜遅くまで書いてたの?」

「え?」

「何だか、元気無さそうだから」

「あ・・・・・・」

鞠絵がゆっくりと、イスに腰掛けた。
そのままテーブルの上で手を組んで、怯えるように俯く。

「鞠絵、あの、ほら、よく図書館に着て行く服さ」

鞠絵のそんな様子に僕は、思わず頭を掻いて、気を取り直すように言った。

「初めて僕と一緒に、図書館に行った時に着てたのと、同じ柄の服だったんだね。
 ごめんよ、すぐに思い出せなくって」

俯いたままの鞠絵は、自分の組んだ手を、じっと見つめて動かない。

「ええと、つまり何が言いたいかって言うとさ。明日、誕生日だから。一緒にどこか行かないかい?」

「明日は・・・ごめんなさい。行けないんです・・・」

自動で中のお湯を沸騰させるポットから、蒸気が立ち上る。
僕は、昨日の雛子の言葉を思い出して、明るい態度を選択した。

「そっか、もうお友達と約束、入ってるよね。誕生日だもんね。
 ごめんよ、急にこんなこと言って。あはは、何だか僕、さっきから謝ってばかりだな」

「・・・・・・・・・」

鞠絵がそっと、顔を上げた。
弱々しい瞳。噛みしめた唇。
降りしきる雨を、じっと、見つめている。

「わたくしは・・・本当に幸せなんですね、兄上様」

鞠絵がようやく、自分から語り始めた。

「みんなに支えてもらって、みんなと一緒に過ごせて、・・・兄上様とも、逢うことができた」

窓の外、机の上の書きかけの小説、鞠絵の顔。
たどり着いたのは、鞠絵の、今までに見たことのない表情だった。
辛い、辛い、辛い。
そう、叫んでいる。

「いつも、感じるんです。みんなでご飯を食べる時、お話している時、外で遊んでいる時。
 楽しくて、温かくって・・・・・・。・・・まるで・・・・・・」

鞠絵が、そっと微笑んだ。

「・・・ユートピアに、いるみたい・・・って」

強い雨粒が、窓を、世界を、打ち続ける。
僕の口が自然に、疑問を口にする。

「鞠絵・・・・・・。何があったの?」

鞠絵は小さく鼻をすすると、意を決したように僕を見つめた。

「ゆかりちゃん・・・憶えていらっしゃいますか?」

忘れるはずも無い。
鞠絵と同じ病で、同じ部屋に入院していた、鞠絵より3つ年下の女の子。
鞠絵のお見舞いに行くたびに、顔を合わせていたのだから。
今だって、入院中の彼女と、鞠絵は手紙を交わしているはずだ。

「彼女が・・・亡く・・・・・・」

鞠絵はそこで、言葉に詰まった。
その詰まった言葉は、僕に黒い、最悪の予感を促した。

「・・・昨日、亡くなったんです」

雨風の荒れ狂う声が、耳に響く。
まさに春の、嵐だった。

「・・・最後のお手紙で、言ってました。もうすぐ手術があって、それが成功したら退院できるんだって。
 そうしたら、映画を見に行きたい。味気無い患者服なんか放り投げて、雑誌に載ってるような可愛い服を着て。
 同じ年の子達がしているみたいな、楽しい毎日を送ってみたいって・・・・・・」

僕は何も言えなかった。
言える言葉なんて無かった。
何の言葉も返せずに、ただ、時間が止まったような感覚と、雷鳴の音だけを受け入れていた。

「去年、わたくしじゃなくて、ゆかりちゃんが手術を受けていたら。彼女、生きられたかもしれない。
 わたくしが彼女の幸せを奪ったんじゃないか・・・・・・。昨日からずっと、そんなことばかり、考えてるんです」

自分で自分を責めるかのように、鞠絵が微笑う。

「わたくし・・・バカですよね。なんとなく、分かっているんです。みんなが幸せな世界だなんて、無理だって。
 そんな夢みたいなこと、叶うはずないって」

僕は確かにそれまで、思っていた。
鞠絵は見えていないだけだと。
皆が幸せな世界など、絶対にあり得ないと。

自分の中に、細かな炎が生まれたのを、確かに感じる。
後悔を含んだ、自分に対する怒りを。

「・・・でも、それでもわたくしは、皆に幸せでいて欲しい。そんな世界がどこかに必ずあるって、信じたいんです。
 それは・・・いけないことですか?」

(違う。いけなくなんか無い。鞠絵は間違ってなんかいない)

馬鹿なのは、間違っているのは僕のほうだ。

(人の幸せを願うことの、何がいけないっていうんだ)

僕は、鞠絵を見誤っていた。
鞠絵は、僕が考えるよりもずっと、悩んでいる。
生きることに、幸せを感じることに、苦しんでいる。

「鞠絵は間違ってなんか無いさ」

僕はゆっくりと、鞠絵の傍まで歩み寄った。
一歩一歩が、ひどく重かった。

「兄上様は・・・ゆかりちゃんのこと、不幸だったと思いますか・・・?」

「・・・鞠絵は、どう思うんだい?」

尋ね返して、鞠絵の隣に、腰掛ける。
鞠絵は俯きながらそっと、眼鏡を外した。

「・・・・・・分かりません。けれど、わたくし、ゆかりちゃんの分まで・・・・・・一生懸命・・・」

飛び込んでくる妹を、胸に感じる熱を、僕はそのまま受け止める。
そのとき僕は、鞠絵の言葉を頼もしく感じた。

(気を紛らわすために、一生懸命書いてたのか)

限界まで張り詰めた糸のような、鞠絵の精神。
僕はそれを察し、ゆっくりと、鞠絵の背中に腕を回す。

「お葬式、明日なんだね。辛いけど・・・・・・行ってあげなきゃね」

抱いた腕の中で、妹が震えている。
壊れてしまいそうな体が、小さく、小さく。

「鞠絵がよければ僕も・・・・・・一緒に行くよ」

鞠絵の頭が、力強く頷いた。
雷鳴はしばらくの間、止みそうも無かった。










――――――――――――


そして今日、4月7日。


僕は、平悟さんの質問に答えるより前に、自分の完成させた風景に間違いが無いか確認した。
ペンを握ったままの手を、机に置く。

「ええ。・・・・・・お葬式はやっぱり、辛かったみたいですけど」

僕は顔を上げながら言った。
平悟さんが僕の視線に、気付く。

「あいつの笑顔は、桜に似ているな。一番よく似ている」

彼の口から、不意に僕の母の名がこぼれた。

「雰囲気がそっくりだ」

淋しげな笑顔を浮かべて、彼はそう付け加えた。
その時僕は、彼が鞠絵に、母の昔の姿を重ねていることを悟った。
僕の知らない、少女の頃の母を。

「いい女になるよ。俺が言うんだ、間違いは無い」

そう言うと平悟さんは、野暮な自分を振り払うように突然立ち上がり、台所へと向かう。
彼はやっぱり、鞠絵に甘い。
その理由が、分かったような気がした。


ふと、日が傾き始めた空に、スズメの声が優しく響いた。
僕はにぎわう若葉を見つめ、静かに、鞠絵の未来を思う。


鞠絵の母親は、血を洗い流し、珠のように輝く鞠絵を胸に抱いて、静かに息を引き取った。
自分の死を覚悟してまでも、この世に生み出したかった命。
その命は、今までに3度の大きな手術を乗り越えて、生き抜いてきた。
それはきっと、これからもずっと。

(鞠絵は間違ってない。絶対に間違ってなんかいない)

僕は記憶とコーヒーとを共に飲み込みながら、そっと、ペンを置いた。
水色の光が、やけに、優しかった。

(それが鞠絵の理想なら、ずっと追い続ければいい)

現実味が無くても、甘ったるくても、都合のいい世界でも。

僕は、そんな鞠絵の世界が、大好きだから。





第15話に続く





あとがき



最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます。
自分の中では、前回の13話で一応の一区切り。
新たな気持ちで、さぁ楽しい話を、と取り組んだのですが、結局、暗い(苦笑)
もしかしたら今までで一番暗い話かもしれません。

鞠絵の内面と小説の世界とを勝手に想像して、繋げて書いてしまった訳ですが、正直ここら辺は
鞠絵がマイシスである方が万一にもご覧になった時に、どう感じるか心配な部分でもあります。
それは、シスプリのSSを書く上で、宿命的なものなのかもしれませんが・・・。
ともあれ、8話での下手な伏線もようやく回収できたので、とりあえず良しとします(死)
あとは、現在と回想がほぼ交互に展開する構成が、分かりにくく無かったことを祈るばかりで・・・。

それでは、今回はこの辺りで。
機会がありましたら次もまた、お付き合いください。

いちたかさんへの感想はこのアドレスへ
to-show@k6.dion.ne.jp

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