トップへ  SSの部屋へ


「ごめんね」

僕がソファに座るように促すと、一二美は荷物を下ろしながら、突然そんな言葉を口にした。

「ん?」

「いきなり来ちゃって」

一二美はそっとスカートを押さえ、ソファに腰を下ろす。

「なんだ、そんな事か。気にするなよ」

僕はそう言って、冷蔵庫へ向かった。
一二美の好きな飲み物を、思い出しつつ。

「それにしても、変わんないね、この街」

しゃがんで冷蔵庫を覗き込んだ僕の背に向けて、一二美がそう投げかけた。

「色々歩いてみたんだけど、記憶に残ってたまま。もう結構経つのにね」

「5・6年ぶりか」

言葉を返しながら、僕は苺カルピスを選択する。

「うん、それくらい」

6年。
その間に高校を中退し、佐倉さんたちを亡くし、白玉荘に移った。
想い出が大まかに、甦る。

「結局は田舎ってことさ・・・。不満かい?」

立ち上がって僕がそう尋ねると、一二美は首を横に振った。

「こっちの方がいい。向こうにいると、何だか置いてけぼりにされてるみたい」

一二美が言う『向こう』とは、東京のことだ。
僕は、その意見に半分賛成で、半分反対だった。

「そうかもね」

そう、お茶を濁す。
すると一二美は、意地悪そうな笑顔を浮かべた。

「荘太にも忘れられちゃうし」

「いや・・・完全に忘れてたわけじゃないから。最終的には思い出した訳だし」

「歌まで歌わせて」

「だから悪かったよ」

それはキミの勝手だろ、とも思ったが、僕はもう降参だとばかりに、そう言った。
すると一二美は惜しげもなく、にこりと笑う。
昔を思い出して、僕はちょっとだけ恥ずかしくなった。


僕と一二美が会うのは、これで三度目になる。
一度目は、小5の時。

東京の子供劇団が、この町で公演を開くことになった。
会場や宿などの手配をしたのは佐倉さんで、僕と禄郎は、佐倉さんとは知り合いだった
平悟さんの命令で、その雑用の手伝いに行った。
そしてそこで初めて同い年の、ティンカー・ベル役の一二美と出会った。

けれどその時は、確かに何度か話をした記憶はあるが、それ以上関わることも無かった。
印象からすれば、禄郎が僕に仕事を押し付け、逃げやがった事の方が強く残っているくらいだ。


「あ。ありがとー」

僕がカルピスを一杯に注いだコップをテーブルに置くと、一二美がそう言って、玄関のほうを見た。

「さっきの子、可憐ちゃんよね。大きくなったね」


幾度かの公演を経験して本格的に演劇の道を志した一二美は、夏休みの一週間を利用した
演劇スクールに参加し、再びこの町へやって来た。
主催者である演出家の友人の佐倉さんは、自分の自宅の離れを彼らの宿として提供していた。
それが、二度目。
中二の夏、僕が正式に佐倉さんの養子になったばかりの頃だった。

けれど、スクールが終わった後も、一二美は帰らなかった。
親に許可は取ってあるし、何でもするから、夏休みが終わるまでここにいたい、と。
佐倉さんは親御さんのことを考え、一度は帰る事を勧めたが、結局折れたのは彼のほうだった。
その時の一二美がやけに必死だったのは、なんとなく覚えている。
ともあれそれから、夏休みが終わるまでの約一ヶ月の間、僕らは同じ屋根の下で暮らすことになった。
だから一二美は、妹達の顔を一通り知っているし、妹達も一二美のことは知っている筈だ。


「いただきまーす。・・・」

一二美は両手でカップを持ち上げて、やたら嬉しそうに口をつけた。

「芝居は続けてるのかい?」

一二美の向かいに腰を下ろしながら、僕はそう尋ねた。

「もちろん。私の生きがいだもの」

笑顔を崩さずに、一二美が答える。
芝居の話題に触れられたのが嬉しかったのか、はたまた僕の作った苺カルピスが
ベストの出来だったのだろうか。

「そっちこそ、マンガは描き続けてるのかい?」

一二美が僕の先の発言を、真似た調子で言った。

「ぼちぼちね・・・」

僕は頭を掻きながら、わざと気の無い返事に止める。
自分の話より、一二美の話を聞きたかった。

「禄郎は? あいつ今、何やってるの?」

一二美が質問を続ける。

「奴は・・・あんまり変わって無いなぁ。自分のやりたいようにやってるよ」

「そう。羨ましい」

「全くだ」

2人で皮肉っぽく言うと、まるで禄郎の反論であるかのように、遠くから車のクラクションが鳴った。
おそらく禄郎は今、くしゃみでもしてるんじゃなかろうか。

「あ、そうだ。携帯持ってるでしょ? 番号とメルアド、交換しよう」

思い立ったようにして、一二美がカバンから携帯を取り出す。
置かれたコップの中身は、もう半分以上が飲み干されていた。
速いな。

「また連絡するからさ、私の知らないところ、色々案内してよ」

声を背中で聞きながら、携帯を取りに窓際へ向かう。
僕は一二美に、初めて会った時のこと思い出していた。
確かその時の印象は、『なんとなくバカっぽい奴』。

「ま、時間が合えばね」

「頼りにしてるから」

一二美がまた、目を細めてカップに口付けする。
窓から外を眺めると、太陽の眩しさに一瞬、世界を見失った。

雨も上がって、すっかりいい天気だ。
まるで太陽まで、鈴凛を応援しているみたいだ。

「そういや、今回は何でこっちに?」

窓際からそう尋ねると、一二美は携帯を操作する手を止めた。

「新幹線でよ?」

「そうじゃなくて・・・またこの町に来た理由さ」

一二美が「ああ」と呟いて、恥ずかしそうに笑う。
再びカバンに手を伸ばし、やがて封筒から一枚の紙を取り出すと、

「静岡大学、あるでしょ?」

誇らしげに、僕に差し出す。
受け取ると、『合格』という2文字が、最初に目に飛び込んできた。

「一浪したけれど、私、大学生になったのです」


シスプリ劇場 金魚鉢が観た家族

第13話 ワン・ファイン・デイ

作者:いちたかさん



「結局、あの子は守ろうとしたって事か。金を盗んだ、川上って子をさ」

長イスに腰掛けて話を聞いていた禄郎が、脚を組み直しながら言った。
あの子というのは、ここに今、入院している真希という少女のことだ。
事件の起きたあの日から、今日でもう、一週間が経つ。
僕は衛と一緒に、見舞いともう一つの用事のために、望月さんの診療所に来ていた。

「1回ならまだ、誰がやったかなんて分からなくても曖昧にカタをつけられた。
 けど2回となると、話が違う。どっかの親が騒げば、警察沙汰にだってなる」

禄郎が言葉を続けた。
僕は頷いてから、それに付け加える。

「川上さんがお金を盗んだなんて事がバレたら、私立中学の合格が取り消されるかもしれない。
 たとえ被害者だったとしても。・・・そう思ったのさ」

「だからわざわざ、衛をスケープゴートに仕立てた。そういう事だな」

禄郎は左手に顎を乗せて、ハッキリと言った。
許し難い行為だけれど、衛が許すと言っているのだから、僕は忘れる事にするよ。
僕がそう言った時、咲耶たちは少々不満気ながらも納得してくれたようだった。
けれど本心は、どうだったのだろうか。やっぱり、許せてはいないだろうと思う。

そんな事を考えていた時だった。

「全く、お前らは昔から加減を知らんな」

診察室から出てきた男が、のそのそと歩きながら言った。
望月さんは、手にカルテを持っていた。

「”ら”って、オレをこいつと一緒にしないで下さい」

僕は言いながら、禄郎を指差す。


昨日の夜、僕と禄郎は彼らの溜まり場へと向かった。
オフィス街の中にぽつんと佇む、寂れた小さな公園。
着いてすぐに、僕は後悔した。
彼らは禄郎のことを知らなかった上に、禄郎の知り合いの後輩からの話も、通っていなかった。
そんなんで話し合いになるわけが無い。
用件を伝える間もなく10人ほどの少年に囲まれた僕たちは、ポジティブな解決法を
諦めざるを得なかった。
僕は昔から、禄郎のケンカに付き合わされて、ロクな目に遭ったことが無い。


「へぇ、トドメをさして回ったのはどこのどいつかね」

禄郎が僕に向かって、皮肉を返す。

「それに、俺はこれでも、しっかりと手加減したんだ」


たかが2人だとナメて、最初からナイフを出さなかったのは、明らかに向こうのミスだろう。
だから、決着はすぐに着いた。
大体は禄郎が叩きのめしたが、僕も2、3人を相手にした。

途中で「もう勘弁してください」とかいう声が聞こえたような気がしたが、
スイッチの入った禄郎にそんな事を言っても無駄だし、僕は僕で空耳だと思うことにした。
というか人が折角、大キライな暴力を振るってやっているというのに、あまりの歯ごたえの無さに
腹が立ってきていたので、泣きを入れてくる連中には、トドメの蹴りを加えて回った。
禄郎は笑いながら、僕の行動を見守っていた。

そうして辺りを落ち着かせたころ、僕はとりあえず奥で震えていた少女たちに、
こちらの用件を伝えておく事にした。
脅し取った金はしっかりと返すこと。
衛を含めた3人には、二度と近付かないこと。
ついでに、こんな事はもう、やめた方がいいよ、と。
結局誰が服部修治なのかは最後まで分からなかったけれど、禄郎の知り合いの名前もキチンと伝えたので、
復讐などという不毛なことは考えないと思う。

ともあれ、禄郎のやりきった顔を見て僕は、わざと知り合いに話を通さなかったのではないかと思った。
禄郎に聞いても、はぐらかされるだけだ。
後にはやっぱり何とも言えない、嫌な気持ちだけが残る。
これだから僕は、ケンカというやつが大キライなんだ。


「どっちもどっちだ、馬鹿ども」

望月さんが呆れたように僕たちに言い放つ。
禄郎はただ、笑っていた。

「ま、ともあれこれで後は、あの子たち次第さ」

僕は、湯水の如く湧き上がる反論を振り払うように咳払いをして、話をまとめにかかった。
当事者の2人は、あれからまだ、一度も話をしていないらしい。
主にはベッドの上の少女の方が、拒み続けているということだった。

「荘太」

望月さんが、手にしていたカルテを僕に差し出す。

「検査結果だ」

禄郎の笑顔が、ピタリと止む。
空気の色が明らかに変わったのを、僕は感じた。
カルテを見つめたまま、望月さんの言葉を待った。

「安心しろ、異常は無い。・・・見てみろ」

そう言われ、僕は受け取ったカルテに目を通す。
一通り眺めて、僕は、ほっと息をついた。

「お陰様ですね」

「そうだ。特にこの天才医師の注意深い観察のお陰だな」

「その通りです」

望月さんの冗談半分の自画自賛に、僕は真顔で返した。
僕の紛れも無い、本心だからだ。

「・・・冗談はさて置き、これでいい。これからも無理は禁物だからな」

望月さんはそれだけ言うと、スタスタと診察室へ戻っていく。
閉まるドアを見つめ、僕は、命というものを噛みしめるように深呼吸をした。

「お前、今日これからどうするんだ」

禄郎はベージュの壁掛け時計に目をやりながら言った。
誰の検査結果か知っている禄郎が、何を思っているのかは分からない。

「折角ここまで来たし・・・。佐倉さんの、はが・・・・・・ふぁ・・・」

言葉が、突然の不可抗力に遮られる。

「ひっくしゅ!」

「佐倉さんの歯がミックス?」

「いや、何か急に鼻の奥が・・・。まあいいや。佐倉さんの墓に寄ってくよ。
 悪いけど衛は、送ってってくれないか?」








「アンタ、本当に能天気なんだね」

見舞いの花の飾りつけもそこそこに、衛は声の主の方へと振り返った。
真希はベッドから体を起こして、衛の作業する様子を眺めていた。

「悪い噂流した人間の見舞いに来るなんてさ」

「もういいよ、その事は。忘れるよって、言ったじゃん」

木々のざわめきが、窓ガラスを通して耳に届いてくる。
今日は風がよく、疾走っている。
おそらく春一番だろうと、衛は少し嬉しくなった。
にやける顔を隠すようにして、作業を再開する。

「・・・桃子は、どうしてる?」

言いながら、真希は外の緑に目をやった。
揺れる葉っぱは、まるで自分達みたいだ。
そんな事を考えた。

「うん。普通に学校に来てるよ。卒業式の答辞もやるんだって」

「そ・・・」

「・・・気になるんだったらさ、今度連れて来て」

「いい」

言葉を途中で遮られて、衛は思わず身をすくませた。

「これ以上余計なことしないで」

自分の目論見が、キッパリと否定される。
衛は背中越しに、彼女に睨まれているような気がした。

「それに、明日で退院だから」

「そう・・・なんだ。おめでとう」

衛は飾り付けを終えると、無理に笑顔を浮かべながら、円イスに腰掛けた。
少しの間、風が世界を切り裂く音だけが2人の耳に突き刺さった。

「・・・・・・結局、お金はどうしたの? 電話じゃ、アンタの兄貴がウチの兄貴と話してきたとか
 言ってたけど」

真希はそう言うと、空気を変えるように枕元に置いてあったリンゴと、果物ナイフに手を伸ばす。
未だ包帯の巻かれた左手でナイフをしっかりと握り、リンゴの赤を器用に剥き始めた。

「あっ、ボク、やるよ?」

「いい。アンタじゃ何か、危なっかしい」

そう言われて、衛は自分が以前、キャベツの千切りで指を切って以来、包丁には
触れてすらいないことを思い出した。
料理のレベルを見透かされて、恥ずかしげに黙り込む。

「・・・それで、どうなったの?」

「あ、うん。あにぃがね、きちんとお話したら、真希ちゃんのお兄さんも分かってくれたって、言ってた」

滑らかな指の動きが、ピタリと止まった。

「兄貴が? 納得したって? アンタの兄貴がそう言ったの?」

「うん」

「・・・話し合い、ねぇ・・・」

リンゴに目を落とし、真希は呟いた。

(・・・あの兄貴が、素直に話し合いに応じたとは思えないんだけどね・・・)

まあいいか。
洋服を脱がされるのを待つリンゴの姿に、真希は深く考えるのをやめた。
とにかくもう、桃子に危害が加わることは無いのだから。
そう思うと真希は、心の奥底が温かくなってくるのを感じた。
皮むきのスピードが、自然と上がる。
真希は自分が喜んでいることを、確かに感じていた。

「はいよ」

やがて裸になったリンゴを小皿の上で切り分けて、一段高い声で衛に差し出す。
見事な手際だった。

「あ、ありがとう。・・・上手だね」

「ん? ・・・まぁ、一人の時間が多かったからね。シュミだよ、シュミ」

真希が、照れるように目を逸らした。

「お料理、得意なんだ・・・」

衛は心底、彼女の一連のスムーズな作業に感心していた。
ひょっとしたら白雪よりも、上手かもしれない。
差し出されたリンゴをつまみ、頬張ると、瑞々しさが口いっぱいに広がった。

「・・・・・・こう言っちゃ何だけど、アンタの兄貴ってさ」

突然の自分の兄の話題に、衛は口を動かすのを忘れ、真希の顔にじぃっと見入った。
そんな衛の表情に、真希は少しだけ申し訳なく思いながら言葉を続ける。

「・・・もしかしたら、結構な悪人かもね」








「佐倉さん、オレは・・・大丈夫です。皆のおかげで、何とかやれています。
 懐かしい奴とも、会いました。2人もよく知ってると思います」


墓参りは、正月に皆で来て以来になる。
少し先の公園で遊ぶ母子の姿に時折目をやりながら、僕は彼らに語りかけるつもりで言った。
念入りに墓石を掃除しながら、言葉を続ける。


「可憐は、相変わらずです。優しい娘です。子猫の面倒も、しっかり看ています。
 四葉も特に変わりはありません。そういえば最近は、あまり僕のことを尾行しなくなりました。
 まぁ、何たくらんでるか分かりませんけど」


僕たち兄妹が以前住んでいた家、つまり佐倉さんの家は、街を一望することの出来るこの、
神楽山のふもとにあった。
広大な土地に、立派な屋敷。その形をそのままに、上手に利用された森林。
僕たちはそこで、3年という時間を過ごした。
彼らはこの山に、誇りを持っていた。
学校から帰ってきて2人がいない時は、大抵、頂上の小さなこの公園のベンチに一緒に座っていた。
風の声が時折耳に届くだけの空間に、共にひっそりと佇む。
そんな時間を、2人は心から愛していた。

だから彼らの墓も、この公園から少し外れた場所に建てられることになった。


「衛と白雪は、もうすぐ小学校を卒業です。今度、一緒にセーラー服を買いに行くんですが、
 衛は何だか少し、恥ずかしいみたいです」


神楽山は、佐倉さんの土地だった。だった、というのには、理由がある。
この山を登っていくと、中腹を越えたところである建物と出会う。
複数の駐車場、専用のバス停を有するその建物の正体は、市が県の補助を受けて、文化振興を目的に
建築した、巨大なミュージアムだ。
レストランや土産物屋、洒落たカフェもあって、その景観や交通の便の良さから利用者が後を絶たず、
建てられて2年で、一気に市の中心事業へと成長した。
コンサートや演劇、展覧会や研究会。
様々な目的に対応できるそれは、芸能や芸術、学問に携わる人たちの、あらゆるニーズに応えられる。

それが、この神楽山を市へ寄付した、佐倉さんたちの遺志だったからだ。
佐倉さんは、芝居が好きだった。
僕もよく、彼や平悟さんに連れられて、芝居を観に行ったのを憶えている。
今の市長は若い頃、佐倉さんにお世話になったことがあるらしく、彼らの遺志は意外なほど
すんなりと受け入れられた。


「雛子は毎日、ランドセルをしょって、はしゃいでます。幼稚園の友達と離れるのは寂しいみたい
 ですけど、新しい友達ができる事の方が、嬉しいみたいです。それと亞里亞が、この前
 縄跳びを飛べるようになりました。・・・・・・成長してるんですよね、ちゃんと」


はたから見れば、僕の言葉は誰の耳にも届いていないのだけれど。
時折聞こえるこの小鳥のさえずりが、まるで彼らの相づちの代わりのような。
そんな感傷的なことを思った。


「鞠絵は体調もすこぶる良いようです。小説の方も頑張ってます。
 花穂も、チアに一生懸命です。マフラーを編んでくれたんですが・・・ちょっと短いです」


彼らの遺言が見つかったのは、事故から2日後のことだった。
正確に言えば、平悟さんが持っていた。
自分達に何かがあった時の為に、予め用意していたものだった。
そこには、僕たちと過ごした日々のこと、これからの僕たちのこと。
そして、財産の処分のことが、事細かに記されていた。

内容は殆どが、何を何処に寄付する、というものだった。
彼らには兄弟や親戚と呼べる人たちが、ほとんどいなかったからだ。
奪ったのは戦争だ。彼らは幼なじみで、小さい頃、長崎に住んでいた。
後は、言わなくても分かるだろう。
それでも彼が遺産の殆どを寄付という形で処分したのは、僕たちを無用な争いから守るためだ。
莫大な資産は、同時に莫大な危険を招くことを、彼はよく承知していた。
結果として市や県、ボランティア団体、懇意にしていた民間企業、そして残りを僕が相続した形になった。


墓の掃除を終えて、花を替え、花瓶に水を注ぐ。
もう家へ帰るのか、楽しそうな母子の声が、徐々に遠くなっていく。


「春歌は弓道部のレギュラーになりました。千影はこの頃、小さい子の面倒をよく看てくれます。
 咲耶は勉強が難しいって、毎日ボヤいてます」


全ては、彼らの人柄が、多くの人間たちを動かした。
僕はそう、思っている。
なぜならば、たとえそれが遺志だったとしても、市長が世話になった人だったとしても、
一人の人間の希望が市政に影響することなど、まずありえないからだ。
佐倉さんはとにかく顔が広く、同時に誰が相手でも態度を変えることなく付き合うことができた。
テレビの国会中継でよく見るような人たちとの食事を断り、先に約束していた商店街の親父たちと
杯を酌み交わす。その逆もある。
そんな精神を、彼は持っていた。


「3人とも、本当にいいお姉さんたちです。オレは助けられてばかりです」


墓の正面に立ち、杓子で掬った水を、天辺から流す。
透明の線が、滑らかな模様を墓石に浮かべていく。
線香を供えてしゃがむと、僕はそっと手を合わせた。


「あとは鈴凛が・・・。どうか、いい結果になりますように。よろしくお願いします」


じっと、祈りを捧げる。
ザワザワと森が騒ぐ音がして、小鳥の羽ばたきが聞こえた。
目を閉じながら、自然が語りかけてくるのを感じる。

こうしていると、自分という存在が自然の一部なのだと、ハッキリと認識できた。
耳に残る母子の声。
風が踊る。
鳥が唄う。
森が騒ぐ。
光が舞う。
僕は、遠い国を思う。

「・・・荘太?」

ゆっくりと、まぶたを開く。
静かな世界に、静かな声。

誘われるように振り返った先で、
花を携えた娘が、
落ち着いた瞳の黒を強調して僕を見つめていた。

「一二美・・・」








「小さい頃、よくケンカしてさ」

言いながら禄郎はMDを入れた。
トラックを3に合わせ、再びハンドルを握る。
そのうちにギターが、静かな音を奏で始めた。

「たまに荘太を、それに付き合わせてた」

診療所の駐車場を後にしたグレーの車が、田園風景を走る。
スピードに乗って、緩やかな坂道を下っていく。

「だから結構有名なんだよ、俺達。ああいう連中にとっては」

相づちは無しに、衛が頷いた。
上の空だということを承知で、禄郎は話し続ける。

「今日は、いい天気だ」

男性の歌声が、車内に響く。
衛に曲名は、分からない。
けれど、素朴で、力強くて、どこか優しい。
そんな歌声だった。


しばらくして、車が住宅街に差し掛かった頃、衛が重い口を開いた。

「禄郎さん」

禄郎は小さく返事をして、ハンドルをきる。
動きに合わせて、車はスムーズに対向車とすれ違った。

「・・・ボク、どうしたらいいんだろうって考えて、2人を仲直りさせなきゃって、思ったんだ。
 でも、本当にそれでいいのかな」

禄郎は何も言わず、衛の声に耳を傾けた。
何かを待っているかのように。

「真希ちゃんも、モモちゃんも、もしかしたらこのままの方がいいんじゃないかって。
 2人にしか分からないことがあるから、お互いに避けてるんだとしたらさ・・・・・・」

「それは言い訳じゃないか?」

禄郎の言葉が、衛の胸をチクリと刺す。
自分に対する、優しさのような、厳しさのような。
小さい頃、悪戯の過ぎた自分をゆっくりと諭してくれた、荘太と同じような。

衛はそこに、そんな何かを感じた。

「2人を仲直りさせたいなら、そうすればいい。どうなるかなんて誰にも分からない」

チラリと、運転席の男の横顔を盗み見る。
言葉は大分ぶっきらぼうだけれど、それがまるで荘太の横顔に見えて、衛は思わず俯いた。

「・・・まだ、間に合うのかな」

「衛ちゃん次第だろうね」

再び黙り込んだ衛に、禄郎は徐々に車のスピードを緩めていく。
この先の交差点を真っ直ぐ行けば、2人はじきに白玉荘へ到着する。
右折すれば撫子川に、そして、左折をしたならば。

禄郎は交差点の手前で、車を止めた。

「さて、どちらへ行かれますか、お客様」








「いい天気だね」

すぐ横の窓ガラスを隔てて、若い男女が手をつないで歩いてゆく。
一二美はそれを目で追いながら、今しがた着いたばかりのアイスソーダを一口、すすった。

「ああ」

「この前、佐倉さんたちが亡くなったって聞いて、ホントにびっくりしちゃった」

新しい客が、僕たちからは大分離れた場所に落ち着いた。
神楽山のミュージアムのカフェの人入りは、普段はこんな程度だ。
何か催し物がある時間の前後は別だが、流石にカフェ程度ならば街中のもので充分だからだろう。
最も、人が溢れかえっていたら、僕は一二美を連れたまま、ここには来ていない。

「それで、わざわざ来てくれたのか」

ストローでソーダを吸い上げながら、一二美は細かく2度、頷く。
前に一二美が白玉荘を訪れてきた時、佐倉さんたちが亡くなった事と、お墓がここにある事は伝えていた。
位牌に手を合わせてはいたものの、まさか墓参りで偶然再会するとは、思ってもいなかった。

「2人も喜んでるよ」

「そう言ってくれて、嬉しいな」

一二美がはにかむ。
白玉荘で話した時もそうだったが、一二美はあまり、化粧をしないらしい。
若いウェイトレスが、チラリと僕たちの様子をうかがった。

「大学は、いつから?」

結局あの後一二美は、長居はせず妹達との再会もそこそこに帰って行った。
住むところはまだ見つかって無いけれど、去年合格した同級生が近くにいるから、
少しの間泊めてもらうことになっていると、言って。
ハッキリ言って順番が逆なような気もするが、まぁ、一二美には一二美の考えや、
やり方というものがあるのだろう。

「あれ? 入学式、いつだったかな・・・・・・。まぁ、頼りになる友達がいるから」

僕は手元のカプチーノをゆっくり飲み進めながら、相変わらずの能天気ぶりに口元を緩めた。

「うわぁ・・・相変わらずだね」

「しっかりしてるのよ、由香は」

同い年の先輩の名を口にして、一二美は開き直ったような笑顔を浮かべる。

一二美の表情は、分かりやすくできている。
感情をストレートに表す。それが普段の一二美だ。
それは、まるで役者として表情や感情を作る時間とのバランスであるかのように、僕には思えた。
舞台の上の一二美は、まるで別人だ。
普段の一二美の印象が『なんとなくバカっぽい奴』なら、役者としての一二美の印象は
『なんとなく凛々しい奴』と言えた。
6年前の夏、スクールの仕上げとして開かれた公演を目にして、そのあまりのギャップに面食らったのを
僕は確かに、憶えている。

ともあれ、一二美の昔と変わっていない部分に、僕は不思議と安心感を覚えていた。

「聞かないの?」

カップを置いた時、一二美が不意に口を開いた。

「何が?」

「どうして今まで、一度も連絡しなかったのか」

組んだ両手に顎を乗せて、僕を見つめる。
魔法のような瞳に、思わず吸い込まれそうになる。

「聞いていいのかい?」

「聞いていいよ?」

あっけらかんとした調子に、僕は少し困ってしまった。
僕はなるべくなら、他人の事情を伺うのは御免だ。

けれど、東京へ帰ってから一度も連絡が無かったのは何故か。確かに気になっていた。
6年も連絡が無ければ、その人のことを忘れもするだろう。
禄郎や平悟さんはともかく、僕や佐倉さんからも連絡しなかったのは、単に一二美に止められたからだ。
私のほうから絶対にするから、心配しないで、と。
ところが実際はそれも無かったわけで。
僕は、あの頃心配して一二美の家へ連絡を入れようか迷っていた、佐倉さんの姿を思い出した。

「何か事情でも?」

「家庭のね」

僕の質問に、一二美はまず簡潔に答え、言葉を続ける。

「私、役者になるの反対されてるから。色々あって、連絡できなくなっちゃった。
 ずっと謝りたかったの。ごめんなさい」

頭を下げる一二美に、僕は理由を聞いたことを少し、後悔した。
わざわざ一二美が墓参りにまで来た大きな理由を、この時悟った。

「そうか・・・・・・。ところでさ」

「?」

重い空気を払うように言うと、一二美が顔を上げた。
ウェイトレスが遠くの客へ、ケーキを運んでいく。

「住むところはもう、決まってるだろ?」

僕の言葉に、一二美が小さくぴくりと反応して、コップを掴んだ。
視線を落としながら、ストローを軽く尖らせた唇へ近づける。

「どうせだったら住所もお互い知っといた方が――――――」

そこまで言って、一二美の様子が何だかおかしい事に気付いた。
ソーダの残りをすすりながら、明らかに僕から目を逸らす。

「・・・・・・」

「・・・ん?」

「・・・・・・それが・・・」








「真希ちゃん・・・わたし、会いたい・・・」


それは突然の電話だった。
少しずつ退院の準備を進めていたあたしに、医者の先生から渡された子機。
相手の声に、受話器を持つ手が微かに震えた。


思い出していた。11月のあの日。
あたしが桃子と、また仲良くなれた日。
そして、小さい頃、一番幸せだった頃の記憶。

家族で、海へ行った。
大勢の人たちで、ごったがえす中で。
父と兄は遠くまで泳ぎの競争をしていて、自分は母と砂浜からそれを眺めている。
スイカ割りもしたし、泊まった旅館で、花火もした。
最初で最後の、家族の思い出。

気付けば父がいなくなり、母も仕事で滅多に家に帰ってこなくなった。
兄は母に暴力を振るって、家を飛び出した。
毎晩遅くまで遊び歩いて、あたしが眠っていると騒がしい音を立てて、帰ってくる。
登校のたびに聞こえてくる陰口。

優しかった兄に、裏切られた時。
あたしの中で何かが壊れて、大きく歪んでいった。
自分を取り巻く世界の全てが嫌になって、苛立ちを、他人に当り散らす。
学校に呼び出されるたび、母は、自分たちからどんどん関心を失くしていくようだった。
友達も失って、あたしは兄の仲間達と一緒にいることが多くなっていった。

「わたし・・・自分が全部悪いの分かってる・・・。真希ちゃんまで、あんな目に・・・」

(違う。モモ。アンタが自分を責めることなんてない)

口から出かかった言葉。
あたしはそれを、強引に飲み込む。
決めたはずだ。もう、桃子とは関わらないと。
でも、電話を切ることができない。

「わたし、別れたくない。・・・真希ちゃんとも、衛ちゃんとも・・・別れたくない・・・」

搾り出すような声に、あたしの脳裏には、ある予感がよぎった。

「・・・私立、行きなよ? 行かなきゃ、もったいないだろ?」

「・・・行かない。行きたくないよ・・・。わたしは、皆と同じ中学校に行きたい・・・」

開け放った窓から、風が吹き付ける。

あたしは気付いてしまった。
桃子は、お金を盗んだことがバレても良かったんだと。
むしろ、それをどこかで望んでいたということを。

あたしは、何をしたい?
何もしていないのは、もう自分だけだ。

「モモ」

押し黙ったままの桃子に、あたしはゆっくりと言葉を続けた。

「あたしね、知ってたんだ。モモのおじさんとおばさんが、離婚してたこと」

桃子は、あたしと同じだ。
大切な人がいなくなってしまうのが、たまらなく怖いから。

「そんで、モモが金盗んでるの見て、ちょっと嬉しくなっちゃって。嬉しいってのはおかしい
 かもしんないけど、何かホッとしてさ。それがあの時、声かけた理由」

一つの決心が生まれ、育っていくのが分かる。
それを口にする前に、あたしは一つ、桃子に尋ねてみることにした。

「・・・ねぇ。佐倉、今そこにいるでしょ」

「うん。・・・あ。ううん」

ごまかしの下手な桃子に、あたしは口元を緩める。
電話の向こうで慌てる佐倉の姿が、目に浮かんだ。
呼吸を、整える。

「あのさ、明日・・・家、行っていい?」

あたしはやっと、抑えていた感情を言葉にする。

「あたしも、モモに会いたい」








「ただいま」

「お帰りなさい、お兄様」

一二美と別れ、白玉荘へ戻ると、咲耶が共同部屋で一人、台所に向かっていた。
僕のほうを見ずに、いつもの言葉を返す。

ザクザクザクザク、ザクザクザクザク。

どうやら夕飯の支度に、キャベツをセンギっているようだ。
僕はその様子を横目で見ながらゆっくりとテーブルの方へと向かい、腰を落ち着ける。
にしても、何で咲耶しかいないんだ?

「あのさ。・・・ちょっと、相談したいことがあるんだけど、いいかな?」

「一二美さんのこと?」

「え」

僕はまるで、カウンターパンチを喰らったような気持ちになった。
咲耶は僕に背を向けたままで、言葉を続ける。

「千影がねぇ、なんか、占ってた。『客人との縁、深まる』って」

一通り切り終えたキャベツを、咲耶は一度ボウルに移し、新しいキャベツをまな板の上に置いた。
まだ、僕を見ない。

「ああ、そう・・・・・・。いや、なんかね、あいつ僕と同い年だから、まだ未成年じゃない?」

「そうね」

ザクザクザクザク、ザクザクザクザクザク。

千切りのスピードが、さっきより速まったような気がする。

「いや、住むところの話なんだけどさ。何か色々事情があって、親の承諾が無いらしくて。
 どの不動産屋にも断られたみたいでさ」

「要するに?」

ピタリと、包丁の音が止んだ。
僕は明らかに、雰囲気に呑み込まれていた。

「・・・要するに、いい所が見つかるまで、ここを貸そうか、なぁんて・・・事を・・・」

「いいんじゃない? 別に。私は反対しないわよ」

あっさりと返事が返ってきて、千切りが再開される。

ザクザクザクザクザク、ザクザクザクザク、ザクザクザクザクザクッ。

更に、包丁のスピードが速まっていた。
うわぁ、咲耶って、キャベツの千切り名人だったんだね。
なんていう冗談は、雰囲気的に言えそうに無い。

「お兄様のお友達なワケだし、私たちも知ってる人だし。困ってるんだから、助けてあげないとね」

咲耶が、理解を示す言葉を続ける。
でもなんか、ちょっとだけ、いや大分言い方が冷たい・・・・・・。

「そ、そう。そう言ってくれて嬉しいよ。ほら、やっぱり顔見知りとはいえ、他人と一緒に住む
 訳だからさ、嫌かなぁとか思ったんだけど。とりあえず咲耶がそう言ってくれれば安心だ」

「でもね、お兄様」

タンッ、と小気味いい音が部屋に響いて、キャベツへの蹂躙が終わった。
ようやく振り返った咲耶は、包丁をしっかりと握り締めたまま、にっこりと笑って見せた。

「私たちのこと、ないがしろにしたら、承知しないからね」

山盛りのキャベツに、一抹の不安を覚える。
咲耶は何を怒って・・・いや、心配しているんだろう。

「・・・・・・うん」

咲耶の笑顔を前にした僕は、そう返すだけで精一杯だった。
他の妹たちがいない理由が、僕にはようやく、理解できた。

「それで、いつから住むのかしら?」








「よし、これでスッキリしたな」

物置部屋にあった物を全て外に出し、掃除を終えると、まるで別の家にやって来たようだった。
カーテン一つ無いピカピカの部屋に、真新しい日の光が差し込んでくる。

僕と禄郎は、部屋の真ん中でふぅっと一息、ついた。

「本当にいいの?」

部屋をぐるりと見渡して、一二美が尋ねる。
僕と禄郎は揃って、一二美のほうへ振り返った。

「何が」

「ここって、言わば皆のお家でしょう?」

一二美の言葉に、禄郎が軍手を外しながら、笑う。

「気にすること無いんじゃねえの?」

「お前が言うなよ・・・。まぁ、オレが提案したことなんだし。それに皆も、歓迎してたろ?」

僕はそう言って、先程まで掃除を手伝ってくれていた、妹たちの姿を思い浮かべる。
まるで知らない人間同士では無かったので、彼女達が打ち解けるまでにはそう時間はかからなかった。
けれど、それはやっぱり一二美を含めた、皆の性格が成せる技だ。
6年前の記憶なんてまともに残っていない、初対面に近い妹たちとまで、ああして会話が出来るのだから。
僕にはとても、真似できない。
咲耶のことは若干気になるものの、僕は、一二美を安心させる言葉を選択した。

「居候だね。うん、家賃はちゃんと払うから。仕送りは無いけど、私、貯えは結構あるし」

一二美はタオルで額の汗を拭うと、Tシャツの袖を捲る。
白い二の腕が、目に飛び込んでくる。

「いいよ別に」

「結構って?」

僕と禄郎の声が重なる。
禄郎の目は僕に、「お前は女に甘いんだよ」と言っているようだった。

「いいよ。別に」

僕はもう一度、言って、2人に外へ出るように促す。
外では妹たちが、部屋に入っていたものと真剣ににらめっこしていた。
正午を知らせる放送が、街に響く。

「捨てられるものはあった?」

僕がそう言うと、妹たちは少しそわそわしながら、一斉に首を横に振った。
まぁ、物の整理というものは得てして、思うようには進まないものだ。
それに、妹たちがもう気が気でないのは、僕にもよく理解できた。
僕は一人で結果を見届けに行った、鈴凛を思う。

「さて・・・じゃあこいつらを物置に仕舞わないとな」

外に並ぶ大小様々な道具を眺めながら、僕は気を取り直して言った。
そのために昨日、物置を買ってきたのだから。
けれどこの作業が、また大変なんだ。

「とりあえず使わない物から奥に入れてくか・・・。禄郎、そっち、持ってくれ」

禄郎に手伝いを頼んだのは、重いタンスや本の詰まったダンボールを移動させる必要があったからだ。
代償は明日の、夕食。
平悟さんの家での一件を考えると、禄郎がここぞとばかりに高い物を要求することは、容易に想像できる。
僕はため息をついて、タンスの角に手をかけた。

「お兄様」

共同部屋から、咲耶が飛び出すように現れる。

「来た。来たわよ、電話。鈴凛から」

一斉に、咲耶に視線が集まった。
体の奥を、何か重いものが下りていくのを感じる。
僕は子機を受け取りながら、すがる様な咲耶の瞳に気付いた。

「大丈夫さ。鈴凛なら」

とっさに出た言葉だったけれど、気休めなんかじゃ無い。
不思議な感覚だった。
高校の合格発表を迎える経験はもう3回目で、慣れはしないけれど、妙に落ち着いている。
緊張はしているけれど、不安が無い。
僕はおそらくどこかで、結果を確信しているんだ。

皆の視線を感じる。
通話ボタンを押して、受話器を耳に当てる。

「もしもし、アニキ? アタシ、アタシね」

受話器を通して僕の耳に届けられる、向こうの世界。
歓声や賛辞。中には、泣き声も。
その全てに彩られ、鈴凛の声が、結果を伝えた。
僕は空いている右手で、すぐさま皆に向けてOKサインを形作る。
ワッと上がる、妹たちの歓声。
鈴凛の声が、徐々に涙でかすれていく。

相づちを打ちながら、ホッと胸を撫で下ろして。
脳裏に浮かぶのは、昔、飛行機を一緒に眺めていた時と同じように目を輝かせ、
ここへと帰ってくる鈴凛。

その時に僕はもう一度、こう言うんだろう。――――――



「おめでとう、鈴凛」






第14話に続く




あとがき
最後まで読んでいただきまして、本当にありがとうございます。
ひとまずこれで、8話から続くシリーズは終わり、内容的にも一段落・・・の筈です。
焦点のブレ、詰め込みすぎ、構成の改善の必要性など、思い残すことは山ほどありますが、
幾つもの話を平行して書き進め、形にすることができたのは自分の中で良い経験になりました。

ところで、この『金魚鉢』はこれから先、時折コメディやギャグっぽい要素を混ぜながらも、
殆どがこんなテンションの話で進めていくつもりでいます。
もともと設定の根本が暗い、というのもありますが、僕自身が今まで話を書いてきた中で、
そうしたいという考えが育ってきたからです。
おそらくそれが今の自分に、合っているのでしょう。

バランスの取り方は難しいですが、これまでの13話を基本としつつ。
機会がありましたら又、お会いしましょう。



いちたかさんへの感想はこのアドレスへ
to-show@k6.dion.ne.jp

トップへ  SSの部屋へ