消毒薬の強い臭いが、急に鼻の奥を襲う。
治療室の扉が開いて、中から知っている顔ぶれが、治療用のベッドを押しながら出てくる。
僕の向かいに座る衛が、落ち着かない表情で何度も後ろを確認した。
衛の友達の少女と石川先生が駆け寄る隙間から、ベッドの上で横たわる少女の姿が見て取れた。
体中に巻かれた、真新しい包帯。血の赤がこびりついたガーゼ。
ナースが持って出てきた、汚れた衣服の切れ端が痛々しかった。
「そう・・・。大体分かった」
話を切り上げるセリフを言って、僕は目で衛の行動を促した。
衛が勢い良く立ち上がって、遠くなっていく消毒の臭いを追う。
ベッドはもう、望月さんを残して病室の中に入ろうとするところだった。
あとの処置は、ナース2人に任せてあるということだろう。
小さくなっていく衛の背を見つめながら、僕は今しがた聞いた話を反芻する。
去年の11月のある日、川上桃子という少女が、ある中学生の万引きを目撃し、その中学生は
その場で逮捕された。
彼の仲間の不良グループは少女を逆恨みし、少女の事を徹底的に調べ、言いがかりをつけて恐喝を始めた。
その額は月に、5万以上。
ハッキリいって、普通の小学生が一人でどうにか出来る額じゃない。
その疑問の答は、今しがた運ばれた服部真希という少女が握っていた。
幼なじみが恐喝されている事実を知った彼女は、グループのリーダーである義理の兄には内緒で、
額の半分の肩代わりを申し出た。
足りない分は、クラスメイトの金を盗んで。
1月、衛が金を盗んでいるところを見た、というのは彼女が言ったことだった。
少女も一緒に見たというのは、信憑性を増すためについた嘘らしく、あの厚化粧は、
それをそのまま鵜呑みにしたというわけだ。
ともあれ、少女はその事実を後から知らされ、交換日記で衛に本当のことを伝えた。
そして今日、起きた出来事。
僕はそう、大体を聞いた。
大体、というのは、納得のいかないところがあるからだ。
なぜお金を盗んだのを衛のせいにする必要があったのか。
そしてなぜ、もっと早くに警察や親に相談しなかったのか。
服部真希という少女が、自分を守るためか。
いずれにしても、彼女たちが自分達だけで問題を抱え込もうとした理由が、きっとある。
おそらく衛は少しだけ、嘘をついているのではないだろうか。
「どうですか?」
僕は近づいてくる小柄な男に向かって、言った。
望月さんは額の汗を拭いながら、大きなため息をつく。
年の割りに多く白髪の混じった頭を、ぼりぼりと掻いた。
「骨が折れていないのは幸いだが・・・打撲が酷いな」
「家族は・・・」
「母親に連絡はついたよ。だが、よろしくお願いしますとだけ言われた。それだけだ」
部屋の隅の方のくぐもった笑い声と、僕のため息とが混じった。
笑い声は、禄郎が長椅子に寝転んで見ていた、テレビからのものだった。
「荘太」
僕は汗を拭き終えた医者のほうに向き直る。
「お前が本当に心配すべきなのは、衛のこっちのほうだよ」
望月さんは右手で、心を示す胸の辺りを2度、軽く叩いた。
その意味を悟って、僕は深く、頷く。
今の事態を考えれば、不良グループのやり方は容赦も無ければ、加減も知らない。
普通に考えればリスクの方が大きいけれど、今日これからだって、口止めのために
接触してくるかもしれない。
僕は自分が取るべき、最善の方法を探した。
「禄郎」
ずっとブラウン管に目をやっている男に、僕は声をかける。
衛や僕たちの話を聞いていたかどうかは、知らない。
「ん?」
禄郎は思い出したようにこちらに顔を向けた。
僕は彼に、頼みたいことがあった。
「車で先に、衛を送ってやってくれないか」
「おう、いいよ。何があるか分かんねえしな」
返事はあっさり返ってきた。
どうやら彼も、僕と同じことを感じていたようだった。
「悪いな」
「乗りかかった舟だ。こっちは任せとけ」
禄郎が、よっ、と言って身を起こす。
任せとけ、というのがどこまでの意味で言っているのかは分からないが、僕はとりあえず、
送ることまで、の意味で取った。
「助かる。また後で電話するよ」
「お前は?」
「オレはあの子が落ち着いたら先生と一緒に、送っていく」
あの子、というのは、脅されていた少女のことだ。
「そうかい。・・・車温めてくる」
禄郎は頷きながらそう言うと、ポケットから車のキーを取り出し、入り口の方へと向かう。
その背を追いながら、僕は、ここへ来てからまだ一度も家に連絡を入れていないことに気付いた。
携帯を使うわけにはいかないので、電話を借りようと望月さんの所へ行こうとした時、
丁度病室から、衛が姿を現した。
「何か話せた?」
目の前にいる衛に、僕はそう声をかけた。
衛に続いて、石川先生と少女が部屋から出てくる。
少女は、俯いたまま唇を真一文字に結んでいた。
「どうしたの?」
「・・・真希ちゃん、モモちゃんとは話したくないって・・・」
衛が何かにすがるように、僕の手を握りしめる。
外から車のエンジン音が、響く。
「そう・・・」
僕はふと、少女の様子を窺った。
泣き疲れた顔はまるで、明日世界が滅亡するかのような錯覚を僕に、抱かせる。
再び溢れそうな涙を、必死に抑えているようにも見えた。
臆病な子だな。
そう思った。
(うわー、あんまり変わってないなぁ)
その少女が棚又駅に降り立ったのは、丁度荘太が、望月診療所へと急いでいた頃。
胡桃のような瞳を輝かせ、ホームから覗く街の姿に大きく深呼吸する。
桜色のセーターに包まれた胸のふくらみが、肺の活動に合わせて大きく上下した。
(果たして、憶えてくれてるかしら)
セミロングの黒髪を揺らし、少女は軽快に歩を進める。
手にしている大きめの旅行カバンは、何の枷にもなっていないようだった。
改札を抜け跳ねるように階段を下りると、視界が開け駅前の賑やかさが目に飛び込んでくる。
ロータリーから街を貫くように走る大通りに、少女は過去に見た同じ景色と、今の自分を思った。
(さて、どう行くんだっけ?)
ふと顔を上げると、スズメの飛び立った空の先に、富士山の姿が見えた。
思わず目を細め、はき慣れたスカートを翻しながら、辺りを見回す。
少女にとってこの町は、忘れがたい、想い出の町。
そして、想い出の中の人々に会うために、再びやって来た。
「あ、そうだ」
少しの間行き交う人々を眺めていた少女が、自分の世界を取り戻す。
懐かしさに浮かれ、自分が最優先ですべき事を、少女はすっかりと忘れていた。
「その前に今日、泊まるとこ探さないと」
作者:いちたかさん
「ただいま。鈴凛から連絡は?」
僕は共同部屋の玄関を勢いよく開けると、間髪入れずに言った。
「私はね、そんな事を聞いてるんじゃないの」
部屋には咲耶と千影しか居なかった。
僕に気付いているのか分からなかったけれど、2人はしかめっ面をして向かい合っていた。
まるで、ケンカしているように。いや、実際してるのか?
「ちょ、どうし・・・」
言いかけて、コタツ布団がブルブルと震えていることに気付く。
何かと思って僕は、めくってみた。
「・・・・・・お兄ちゃまぁ・・・」
「花穂?」
コタツの中でうつぶせに丸まる花穂が、涙目で僕を見つめていた。
這い出てこようとするのを助けるように引っ張り出してあげると、飛びつくようにして僕にすがりつく。
「お姉ちゃまたちがぁ・・・・・・」
花穂が怯えた声を出したのと同時に、2人の会話、というか口論が再開された。
「鈴凛は私たちを頼って、相談してきたのよ? どうして失望させるような事を言ったの?」
「・・・頼ってきたからこそ・・・無責任なことは言えない・・・・・・」
「無責任ですって? それ、私のこと?」
咲耶の語気が強まる。
「ひーん・・・・・・」
そんな泣き声を上げて、花穂は僕の胸に顔を埋めた。
僕はその頭を、軽く撫でる。
テレビは、花穂が毎週楽しみにしている番組を虚しく映し続けていた。
何故花穂だけがここに居るのかは、大体察しがつく。
咲耶と千影の言い争いが始まり、険悪になった2人の雰囲気を悟った妹たちは、それぞれの部屋へと
散っていった。
ただ、花穂だけは。
何というかテレビに夢中で『逃げ遅れた』。そういう事だろう。
心に若干呆れたものを感じながら外に出るように促すと、花穂はコクリと頷いた。
開けてあげた玄関から外へ出て、隣の部屋に移ったのを確認すると、ドアをしっかりと閉めて
僕は改めて2人に向かう。
「2人とも、あの、とりあえず説明を・・・」
30分ほど前。
望月さんのところから家へ連絡を入れた時、僕は鈴凛の姿が見えなくなったという事を聞いた。
電話口の咲耶の声の調子から、ただ事ではないとすぐに分かった。
僕は衛を禄郎に、川上さんを先生にそれぞれ任せて、白玉荘へと急いで帰ってきたのだ。
僕の声で、2人はようやくこちらに目をやった。
「・・・心配要らないという・・・連絡はあったよ・・・・・・。落ち着ける場所に・・・
一晩いるからと・・・」
「鈴凛がね、私に相談してきたの。これからでもよければ志望校を変えたいって。それから千影の
ところにも行ったのよね」
「・・・ああ・・・」
「ちょ、ちょっと待って。え? 鈴凛が志望校を変えるって?」
声が、説明が、交錯する。
僕はとりあえず、状況の整理に努めた。
この言い争いと鈴凛の家出に関係があることは、容易に想像できた。
「ええ。理工専大の、附属にね。確かにレベルは高いけど、鈴凛なら・・・」
「・・・・・・あの子は・・・私立を受けていない・・・・・・」
千影は確認するように、ゆっくりと言った。
「どういう意味か・・・分かるだろう・・・・・・」
鈴凛が私立を受けなかった理由は、本当のところ分からない。
ただ確かなのは、滑り止めが無い以上、公立に落ちることは殆ど許されないということだ。
「無難な道を選ぶのは・・・決して・・・臆病じゃ無い・・・・・・」
「そうね、千影は正しいわね」
咲耶はふぅっと息を吐くと、重い足取りで窓際に向かった。
「でも私は、鈴凛に間違っても後悔だけはして欲しくないの。これから3年間を過ごすところだもの」
咲耶が振り返る。
口調が、決めた思いの強さに従っていく。
「鈴凛だって、もう色んなことを分かってるはず。だから迷ってるのよ」
咲耶は千影のほうを見て、最後にきっぱりと、言い切った。
「だから、私が賛成する気持ちは変わらないわ」
「・・・・・・鈴凛にも言ったが・・・リスクの大きな挑戦は・・・下の子たちのことを
考えたら・・・させられない・・・」
「鈴凛のこと、信じてあげられないの?」
「・・・信じるだけで合格するのなら・・・苦労はしない・・・」
「現実的な事ばかり口にしないで。否定だけして楽しい?」
「キミこそ・・・適当に甘い言葉だけをかけないでほしい・・・。鈴凛の人生なんだ・・・」
「千影っ・・・」
「分かった。2人の言いたいことは分かったよ」
爆発しそうな空気を察して、僕は咲耶を制して言葉を挟んだ。
これは、この雰囲気は花穂には堪らないな。
そう思った。
千影は一度、大きく息を吐き出すと、しっかりと顔を上げる。
「現実を見たら・・・私に賛成はできない・・・・・・」
千影の言う『現実』の意味を悟り、咲耶の瞳に暗い影が落ちたように見えた。
「・・・私だって・・・鈴凛に頑張って欲しいと思う・・・・・・けれど・・・・・・
あの子に不幸に・・・なって欲しくは無い・・・・・・」
同じだ。
咲耶も千影も、考えていることは同じ。
ただ、結論が違うだけだ。
「決めるのは鈴凛自身だから・・・どうしてもと言うのなら・・・止めないけれど・・・
・・・もう一度よく・・・・・・考えさせたかった・・・・・・」
千影の低い言葉の響きに、僕と咲耶は黙り込んだ。
千影の言わんとしている事は、僕にも分かる。
それは千影らしい、冷静な判断。
誰も鈴凛の人生に対して、責任を取ることはできない。
僕が言葉を探していると、玄関のドアが、コンコンと鳴った。
入ってきたのは、春歌だった。
「あ・・・。兄君さま、お帰りなさいませ」
「ああ、ただいま。・・・看病してくれてたんだ、ありがとう」
春歌は体温計と白雪のパジャマを持っていた。
僕は春歌から、体温計を受け取る。
鈴凛を捜しに行くべきか否か。
それが今の、一番の問題だ。
鈴凛がこのまま夜、一人で過ごすのはもちろん危険なことだ。
だからといって、行き場所の分からない人間を捜し求めるために、妹たちに夜の街をうろつかせる事も
絶対にさせられない。
皆はそんな僕の気持ちを察して、無闇に捜しに出たりせずに、僕の帰りを、判断を待った。そう思う。
そして皆は僕に、鈴凛を捜しに行こうと言って欲しいと、おそらく思っている。
行くとすれば、僕一人だ。
禄郎に協力を頼んでもいい。あいつは断りはしないだろう。
けれど僕には、ためらいがあった。
「鈴凛はもう、15だよ」
僕は体温計に示された数字に目を落としながら、言った。
千影の言うとおり、これは鈴凛の人生の問題だ。
鈴凛が一人で人生を決めようとしているのなら、僕はその邪魔をしたくない。
僕個人の価値観で、余計なお世話を挟みたくなかった。
「自分ひとりで決めようと思ったから、独りになりたかったんだと思う。
それに、ちゃんと連絡も入れてきてる」
白状すれば、僕の中で答えはもう決まっていた。
何より僕は、今日の夜はそばにいると、白雪に言っている。
その約束を破ることは、したくない。
僕は確かに、鈴凛と白雪を天秤にかけ、そして、白雪を選んだ。
「大丈夫さ。きっと自分で決めて、戻ってくる。・・・白雪の様子を見てくるよ」
それだけ言って、僕は逃げるように部屋を後にした。
3人に僕の心を見透かされるのが、怖かった。
白雪の下へ着くまで、僕は今しがた吐いた言葉をもう一度、自分に向けて呟いた。
対向車のライトが、運転席と助手席に座る2人の顔を、まるで一瞬の幻影のように映し出す。
田んぼに挟まれた、ガードレールも無い広い道。
朝夕は児童達で込み合う道も、今は人影すら見当たらない。
冷たい空気を切り裂いて走る車の頭上には、星の姿もまばらだった。
「どこかご希望の場所はございますか?」
先に口を開いたのは、禄郎だった。
鮮やかに浮かぶ街の灯をじっと見つめる衛に、禄郎は冗談半分に言った。
「本日は無料での営業となっておりますので、なんなりと」
衛が遠く浮かぶ街の灯を見つめながら、小さく笑う。
暗闇がまとわりつく今この場所と、繁華街の華々しいイメージとが、ひどく虚ろに重なるようだった。
「・・・禄郎さん」
「ん?」
「ボク、どうすれば良かったのかな」
赤信号の点灯に、車がそのスピードを緩め始める。
ラジオから流れる、女の子ばかりのアイドルグループの最新曲は、禄郎が衛に気を遣い、
そのままにしているものだ。
彼は普段ロックか、パンクしか聞かない。
ただ衛がこのグループのノリを好きかどうかは、分からなかった。
「ボク、知ってたんだ、全部。でも、何にもしなかった。
だからボクのせいで、真希ちゃん、あんな目にあったんじゃないかな、って・・・」
「自分一人じゃ、どうしようもない事だってあるさ」
車を止め、禄郎は遠くを眺めたまま言葉を続ける。
「後は大人に任せてさ、嫌なことは早く、忘れた方がいい」
言いながら心の中で、苦笑した。
我ながら、いい加減極まりない慰めだ。
そんな言葉を平気で吐くようになった今の自分を、笑ってやりたくなったのだ。
ガキの頃の自分がこんな事を言われても、絶対に納得していない。
いや、確かにあの時自分は、納得していなかった。
禄郎はチラリと、衛の様子を盗み見た。
つぶらな黒の瞳の中に、やり場の無い憤りを感じ取る。
全てに敵意を持っていた、昔の自分のように。
「・・・・・・どうすれば良かったのかな・・・」
禄郎は何も言わず、ただ信号の赤を見つめていた。
アイドルたちが、最後のサビを歌い終えた。
「ただいま。ちゃんと寝てたかい?」
僕の姿を見ると、白雪はホッとしたように目を細めて、コクリと頷いた。
顔の半分まで布団をかぶって、僕をじっと見つめる瞳が、潤んでいる。
今日一日の疲れが、みるみる薄れていく気がした。
「今日は一晩中ここにいるから、何かして欲しいことがあったら遠慮なく言いなよ?」
白雪が再び、頷く。
僕は白雪の枕からアイスノンを引き抜くと、取り替えに冷蔵庫へ向かった。
秒針の進む音が、耳にこびりついてくる。
「リン姉さまは・・・」
白雪の声を背中に受けながら、僕は作業を続ける。
冷凍庫から、白いおぼろげな冷気が這い出てくる。
「向こうの部屋で、勉強してるよ」
「嘘・・・。姫、知ってます・・・」
真新しいアイスノンが、指に、痛みに似た刺激を与えた。
「まだ帰って・・・ないんですね」
「白雪は気にしなくて、いいんだよ」
僕は一蹴するように、ハッキリと言った。
何故白雪が知っているのかは分からない。
春歌が喋ってしまったのか、それともなんとなく感づいたのか。
僕はその疑問を、静かに振り払った。
まとわりつく鈴凛への思いと、一緒に。
「・・・捜しに行って下さい・・・兄さま・・・」
思わず手が止まる。
え、と振り返った先で、白雪は首を横に振っていた。
「・・・姫・・・姉さまと一緒のお部屋にいて、分かったんです・・・」
僕は、目を離すことが出来なかった。
白雪は確かに、泣いていた。
「・・・今の姉さまに一番力になってあげられるのは、にいさまなんだって・・・・・・。
姫がどれだけお料理を作っても、話し相手になっても、にいさまには敵わないんです・・・」
心が、大きく揺さぶられるのを感じる。
問題に向き合おうとしない自分を、人に立ち入りたがらない臆病な自分を、僕はまた思い知らされていた。
「だから、行って下さい、にいさま・・・。姫なら、心配要らないですの・・・」
今朝と同じ、か細い白雪の声。
(どっちも「心配要らない」か)
けれど今はその中に、必死の強がりが込められている。
(情けないな、オレは)
だから僕は、それに応えなければならない。
「・・・・・・。ありがとう、白雪。・・・行ってくるよ」
僕はそれだけ言うと、タオルを巻き終えたアイスノンを枕に戻し、そっと白雪の頭を撫でた。
白雪が涙を見せたまま、安心したように目を閉じる。
明かりを一番小さくして、僕はゆっくり、玄関へ向かった。
外へ出ると、星が瞬いているはず夜空は、所々黒い影に覆われていた。
遠い街の灯を見つめ、僕は、
(見つけなきゃいけない)
そう思った。
夜の歓楽街を走っている。
この街のどこか、独りでいる妹を求めて。
学生、会社員、水商売、乞食、不定の人。
途中、様々な人たちとすれ違った。
カラオケボックスから出てくる少年少女、何か叫んでいる老人、酔っ払って道端に寝ている若い女、
それを囲う人達。
僕は高校を、2年の夏に中退した。
中学の頃から漠然と、マンガで食べていくことを考えていた僕にとっては、はっきり言って
高校なんてものはどうでも良かった。
行く気もなかったが、幸い成績は良かったので、佐倉さんたちの体裁を勝手に考えた僕は、
普通の中学生が体験するような受験日程を経験し、進学校に合格した。
養子としての責任を果たすためだけに、僕は高校という道を選んだ。
今、自分のために高校を選び、入ろうと必死になっている鈴凛の気持ちとは、まるで対照的だ。
だから僕には、高校のことで皆に意見する資格は、本当は無い、と思っている。
ともあれ、その頃にはもう滅多に学校には行っていなかった禄郎が辞めた時、ついでに僕も辞めた。
ついでと言うと誤解があるかもしれないが、丁度いい、機会だと思ったのだ。
僕の後を追うように入学してきた3人、特に合格のために必死に努力した咲耶には悪い事をしたと
思ったけれど、それでも僕が決断することができたのは、佐倉さんたちのお陰だ。
―――――荘太には、他にいい道がきっとあると思っていた。
相談に行った時、僕は2人の体裁を守ろうとした自分の考え方が、間違いだったと知った。
2人には最初から体裁など、どうでも良かったのだ。
この時ばかりは、心底自分が恥ずかしかった。
そうして、机に向かって勉強する生活から、バイトをしながらマンガを描く生活へ。
夏休みが終わったら家を出て、僕は自分一人の力で生きていくつもりでいた。
けれどそのすぐ後に佐倉さんたちは亡くなり、僕は遺言のまま、妹たちと白玉荘で暮らすことになった。
僕は結局、自分の行った高校が最後まで、好きにはなれなかった。
教師達は生徒を進学させることしか考えていなかったし、生徒達もそれを疑問することなく、
受け入れていた。
そして、そこから外れた考え方の人間を認めず、それとなく排除しようとする。
もちろんそれは、全員に当てはまることでは無かったけれど。
多くの人たちが体制に呑み込まれ、疑問する事に、自分の存在を否定されてしまうかのようだった。
まるで、羊のように。
駅前まで来た僕は、人ごみを避け、オフィス街の入り口のベンチに腰掛けた。
自分の荒れた息が、耳に障る。
騒がしいはずの夜の街の中で、孤独がやけに息苦しい。
歓楽街を走りとおして、僕はクタクタになっていた。
ファミレス、ゲームセンター、カラオケボックス、公園。
自分が思いつくままに回ったところを、反芻する。
そのどこにも鈴凛はいなかった。
閉塞感がまとわりつく。
周りの建物が、まるで僕に襲い掛かるかのように立ちはだかっていた。
(落ち着ける場所、か・・・)
時計を見たら、十時になっていた。
空を見上げ、ひたすら考える。
鈴凛は今、どこにいるのだろう。
皆は、家でどんな気持ちでいるんだろうか。
目を凝らしても、星はほとんど見えない。
雲に、覆われているからだ。――――――
―――――鈴凛。朝焼けはね、雨が降る前触れなんだよ。
まるで閃光のように、それは僕の脳裏に甦った。
そうだ。3年前。
あの屋上で僕は、鈴凛と一緒に飛行機を追っていた。
広大な空を翔けていく小さな飛行機と、オレンジの空を貫く白いラインを。
僕は身を起こし、再び走り出す。
走りながら、鈴凛のことを考えた。
鈴凛の両親は共に、航空学の第一人者だった。
安全な飛行機を造ろう。
世界から、飛行機事故を無くそうと。
そんな理想を持った、人たちだった。
2人は幼い鈴凛を家に残し、研究のために世界を回る毎日を送らざるをえなかった。
そして、そんな彼らの亡くなり方は、あまりにも皮肉めいていた。
鈴凛が小学校へあがる直前。
研究開発のためにスイスへ行った帰りの、飛行機事故だった。
テレビでも未だに、あれから何年という追悼式の様子が流されるくらい大きな事故で、死者数もそれに
応じていた。
2人の遺体はついに、見つかることはなかった。
多分、飛行機と一緒に地中海の底に沈んでるんじゃないかな。
鈴凛が一度だけ、自分の親のことを話してくれたときに、最後に言った言葉だ。
その時の笑顔が、僕は今も忘れられない。
鈴凛は、理想を追い続けた2人を、どう捉えているのだろうか。
複雑な感情があるように思う。子供は、親の愛情を欲するものだから。
理想を追った2人の選択は、果たして正しかったのか。
僕には分からない。
一つだけ確かなのは、鈴凛は今まで確かに両親の背中を追い、様々なものを抱えながら
生きてきたということだ。
やがて僕は、平悟さんのマンションの前で足を止めた。
観音開きのガラス扉を開け、僕はエレベーターで最上階へと向かう。
それから屋上への階段を、一気に駆け上がった。
(3年ぶりか)
目的のドアの前に立って、僕は大きく、深呼吸した。
ドアノブに手を掛け、ゆっくりと回してみる。
僕は一つ目の賭けに勝った。ドアには鍵が、かけられていなかった。
切れかけの蛍光灯が、チカチカと点滅を繰り返す。
もし、この先に誰もいなくても。
それでも僕は、朝までここにい続けよう。
自分のすべき事を決めると、気持ちが少し、楽になったような気がした。
祈りにも似た気持ちを抱いて、僕はドアを開けた。
最初、暗がりの中で僕にはその人影が、まるで男の子のように見えた。
それはすぐに鈴凛だと分かった。
僕はゆっくりドアを閉めて、一度空を見上げた。
「良かった」
ため息と同時に、出た言葉だった。
鈴凛が顔をキョロキョロとさせて、声の主を捜し始める。
それからすぐに僕を見つけると、ふっと、微かに笑った。
遠く街に瞬く色とりどりのネオンが、その笑顔を照らしていた。
「・・・先生」
「びっくりした?」
担任教師の言葉に、真希はふいっと顔だけを背けた。
怪我のために、自由に体を動かすことの出来ない少女のささやかな反抗だった。
「服部さんと少し、お話したくて」
石川はそのまま、ベッドの横の円イスに腰掛ける。
真希は、観念したようにため息をついた。
「・・・モモは・・・」
「大丈夫よ、ちゃんと車で送ったから」
その言葉に、真希は体中の力が抜けてゆくのを感じた。
(――――――眠い)
気を抜くと、深い眠りに落ちてしまいそうだった。
音の無い森から、フクロウの鳴き声が微かに響いた。
「服部さん・・・お金を盗んだのは、あなたじゃ無い。・・・川上さんね?」
静寂のまま、言葉は暫くの間、部屋を漂う。
真希はそっと担任のほうへ目をやって、やがて口を開いた。
「モモが自分で・・・そう言ったんですか?」
「責めちゃダメよ」
石川は言いながら、真希の布団を正す。
「あなたをこれ以上、悪者にしたくなかったのよ。分かってあげて」
少し、考えるように時間を置いて。
真希が、ゆっくりと頷いた。
「合格が取り消されるのが心配で、今まで誰にも言えなかったのね」
真希がまた、コクリと頷く。
「川上さんは完全に被害者だもの。そんな事には、ならないわ」
「それでも・・・」
「大丈夫。先生、誰にも言わないから。その代わり2人とも、後でたっぷりお説教よ」
石川の笑顔に、傷のものとは違う熱が、真希の身体に込み上げる。
教師という生き物の言葉に初めて、温かさを感じた。
「モモのこと強請ってるの、兄貴だって知って、あたし、すごく怖かった・・・」
言いながら再び顔を背ける教え子に、石川は微かに微笑む。
「・・・あたし、モモに嫌われたくない・・・」
「川上さんは、あなたのこと嫌ってなんかないわよ。分かってるでしょ?」
真希はぎゅっと、唇を真一文字に結んだ。
まぶたをくすぐり始めた熱は、そのまますぐにでも形になってしまいそうだった。
「さて、と。先生そろそろ行くね。今日はもうゆっくり、お休みなさい」
何かを察したように不意にそう言うと、ポン、と布団に手をやって、石川は立ち上がった。
時計を見ると、十時になっていた。
「・・・先生、あたし、間違ってた?」
右手がドアノブにかかった時、背後から微かな涙声が、石川に投げかけられる。
―――――先生・・・、私、間違ってたんですか?
脳裏に甦る、もう一人の生徒の声。
石川は立ちすくんだまま、目を閉じた。
―――――万引きは悪い事だって思ったから・・・。・・・それなのに・・・・・・。
「間違ってなんかないわ、2人とも」
フクロウの鳴き声が止んだ。
石川はハッキリと言い切ると、真希のほうへ振り返って、ニコリと笑う。
迷いの無いその瞳は、そっぽを向いたままの少女を、映していた。
「・・・すごいねアニキ・・・。よく、分かったね・・・」
家に連絡を入れ、買ってきたホットコーヒーを手に鈴凛のそばまで戻ると、鈴凛は瞳を
落としながら言った。
「アタシ・・・」
「いいよ、分かってる」
ジーンズのポケットに携帯を押し込みながら、僕は鈴凛の言葉を遮った。
「ゆっくり整理して・・・教えてくれないか。僕で力になれるなら」
言いながら、白雪を思う。
鈴凛はゆっくり頷くと、街のほうへ目線を移した。
「・・・アタシね、いつか留学したいって、思ってるんだ」
遠くからアスファルトの唸りが聞こえた。
遥か下を、一台の車が通り過ぎていく。
「でね、理工専って、アメリカに姉妹校があって、留学に有利なの。私立受けなかったのも、
合格したら何だか本気で理工専受けようって気が、薄れちゃうんじゃないかって思ったから」
僕は手すりに手を置いて、目を細めた。
昼間の平悟さんの言葉の意味が、鈴凛の本心が、ようやく僕にも、理解できた。
「そうか・・・」
「アタシいつか、2人に負けないくらいに立派な科学者になりたい。それで2人の理想を追うの。
それが・・・アタシの夢」
僕は何も言わなかった。
ただ、遠い街の灯を眺めていた。
「だから、ずっと迷ってたんだ。理工専にしようか、北高にしようか。自分の夢とか皆のこととか、
色んなこと頭に浮かんで、今までずっと答が出なかった」
鈴凛はそう言って、目の前の手すりに両腕を乗せ、体重を預ける。
「でも今日、咲ねぇたちに相談してね、ハッキリ分かったの。結局自分で考えるしか無いんだって。
・・・でも、怖い。自分の力を試したいけど、落ちたらアタシの人生どうなるんだろう・・・」
鈴凛が僅かに首を傾けた。
その横顔に、瞳に、僕は迷いを感じ取る。
「・・・だから、この場所でゆっくり、一人で考えたかったの。ごめんね、アニキ・・・」
「そうか・・・」
僕は小さく頷いて、思い出したようにコーヒーを差し出した。
「お金は気にしなくていいよ。奢りだから」
鈴凛の性格を茶化そうとした僕の言葉が、見事に空回る。
鈴凛は熱を帯びた缶をぎゅっと握り締めたまま、寂しそうに笑った。
「アタシ・・・アニキに色んなもの貰ってばかりだね・・・」
それは違うよ、鈴凛。
そう言いかけて、僕は言葉を閉じ込める。
ひっきりなしにその色と明るさを変え続けるネオンが、まるで今の鈴凛の心の中みたいに思えた。
「ねぇ鈴凛、高校生になれないのって、不幸だと思う?」
僕の不意の質問に、鈴凛はしばらく考え込んだ。
安易に答えを出そうとしない、科学者の性質は見事に受け継がれているようだった。
「不幸だと・・・・・・・・・思う。・・・やっぱり」
僕は鈴凛の答えに、また、頷く。
「そう・・・。そうだね」
自分の気持ちを整理するつもりで一度、目を閉じた。
鈴凛には今、誰かの小さな後押しが、必要なんだ。
「鈴凛、自分を追い詰めること無いよ」
再び街の姿を目にして、僕は空気を変えるように、一つ、咳払いをして言った。
鈴凛が僕を、見つめているのが分かる。
「受験の結果がどうなろうと、鈴凛の意志の結果なら、ただそれだけでいいんだ。
だから、周りのことは気にしなくていい」
夜の隙間を縫うようにして、飛行機の光が先の空を過ぎ去っていく。
僕は3年前、12歳の鈴凛と一緒に、オレンジの空で出会ったそれを、また思い出していた。
「ゆっくり考えるといいよ。僕はずっと待ってる。・・・遠くにいた方がいいかい?」
「ううん。・・・ここにいて・・・?」
「分かった」
もう、鈴凛の決断の邪魔をするつもりは無かった。
僕はそれだけ言って、ゆっくりと腰を下ろす。
「アニキ・・・」
そうして自分のコーヒーのプルタブを上げようとした時、僕は母親を求める子供のような声を聞いた。
「これだけ聞かせて。もし、合格してさ、アタシがいなくなったら、やっぱり寂しい?」
口元が緩む。
答えは、決まっている。
「それはみんな、同じ気持ちさ」
鈴凛が瞳を落として、僕と同じように微笑んだ。
お互いに街の方へ目をやると、それきり何も言わなくなる。
これ以上の言葉は、必要無いのだろう。
鈴凛は手すりに両腕を乗せたまま、じっと、同じ姿勢のままでいる。
僕は何も喋らずに、ただ、移りゆく街の時間を眺めた。
小さくなった飛行機の姿は、もうこの世界には見つけられなかった。
こうしていると、街に流れる時間と、僕たちの時間とは違うものなのだと、ハッキリと認識できる。
そしてそれは、ふとしたことで境界が曖昧になっていく。
今、この時のように。
鈴凛が一つ、深呼吸して腰を下ろした。
そういえば、明日は雨なんだ。
長い時間をかけて、徐々に冷たくなってゆく風に、僕はそんな事を思い出す。
自分の上着を、そのまま鈴凛に羽織わせた。
ありがとう。
微かに微笑ってそう言うと、鈴凛は自分で前のボタンをとめ、ゆっくりと顔をうずめた。
その姿勢のまま、動かない。
闇が、彼女を呑み込んでしまうように思えて、僕は一瞬ドキリとした。
時間と、僕たちの意識とが、溶け合って流れてゆく。
何時間か経って、街が明るさを帯びてきた頃、ほのかに白んでいた空が、真っ赤に変わった。
朝焼けの中に、僕たちの姿がくっきりと浮かび上がる。
羊飼い達は、朝焼けを嫌う。
朝焼けは雨の予兆だからだ。
何故雨が降ると困るかは知らない。
おそらく、農作物が日光を求めているからだろう。
僕は羊のことを思う。
羊はどうなのだろうか。
もし僕が羊だったら、雨が降ってきたのに喜ぶ。
本能的に、安らぐのではないかと思う。
「アニキ・・・。アタシ、アニキがここに来てくれて、本当に嬉しかった」
鈴凛がついに口を開いて、立ち上がった。
僕は続く言葉を、待った。
「・・・2人を追い越すには、こんなところで迷ってたら・・・ダメだよね・・・」
鈴凛が朝焼けを見つめたまま、声を霞ませる。
僕はそっと立ち上がって、彼女の導き出した答を、思った。
鈴凛の意志と、求める理想を。
「ごめんね・・・アニキ・・・・・・。ホントに、ごめんね・・・・・・」
「謝ることなんてないさ」
僕は鈴凛の肩を抱いて、引き寄せた。
腕の中で、鈴凛は僅かに震えていた。
(頑張れよ。ずっと応援してるから)
羊は臆病な生き物だ。
だから集団で暮らし、放牧犬によってまとめられる。羊飼いによって生かされている。
もし、一匹の羊が逃げ出すようなことがあれば、たちまち狼に襲われ、食い殺されてしまう。
羊はそれを、知っているのだろうか。
「で、どうするんだ」
電話口の向こうで、禄郎が何かを頬張りながら言った。
多分、昼過ぎの朝食だろう。
千影が下へ降りたのを見計らって、僕はこの先のことを相談するために、禄郎に電話をかけた。
雨は少し前に上がって、雲間からは日差しが、顔を覗かせ始めていた。
「どうするも何も・・・。行くしかないだろうよ」
「それは分かってるよ。いつ?」
「お前、何か当てがあるのか」
僕が問うと、少し間が開いてから、答えが返ってきた。
「見当はついてる。服部って苗字でピンと来た。知ってる奴を知ってる」
「ややこしいな・・・。それで?」
「先ずはお互いに自己紹介して・・・話し合ってみるさ」
僕は、彼が自分の名前を相手に伝えることの意味を知っていた。
向こうが彼の名前を知っていたら、それだけで全て解決する。
そういうことだ。
「上手くいかなかったら?」
「2人で昔を思い出そうぜ」
禄郎はそう言って、笑う。
僕は暴力は振るうのも振るわれるのもキライだけれど、場合が場合だけに仕方ないと思うことにした。
「あの・・・お兄ちゃん」
ノックの音がして、可憐の声が続いた。
「悪い、可憐が何か用事みたいだ。また電話するよ」
僕は禄郎の返事を待って、携帯を切る。
ドアを開けると、柔らかい日の光が目に飛び込んできて。
どこかへ出かけるのか、おめかしをした可憐が立っていた。
「どうしたの?」
「お兄ちゃんに、会いに来たっていう女の人が・・・」
可憐はチラチラと横を気にしながら、言った。
ただそう言われても、当の僕には全く思い当たるフシが無い。
思わず、しかめっ面になった。
「女の人? え、どんな?」
「こーんな」
妹達のものとは違う高い声がして、僕の目の前に、セミロングの髪の少女が姿を現す。
見た目、十七、八。
僕は一瞬、咲耶が髪を下ろしているのかと思った。
「え・・・・・・」
突然のことに、僕は困惑した。
明確な返事を返せないでいる僕に、少女は持っていた旅行カバンを置いて、キョトンとする。
「あれ? リアクション薄い。やっぱり忘れちゃった?」
もしかしなくても、僕が忘れているか、この娘が勘違いをしているかの、どっちかだ。
なるべくなら、後者がいい。
「うーん・・・。あ、この髪型、ほら」
少女は僕の記憶を呼び起こすヒントを示しているようだった。
左右の手をそれぞれ止めピンの代わりにして、髪を頭の両側でまとめる。
とたんに外見が、幼くなる。
完成した髪形は、小さい子がよくやっている、ツインテール。
僕は記憶の土壌を掘り起こしながら、じっと彼女から目を逸らせずにいた。
「Another day is yet to be ♪
Another moment follows ♪ 」
今度は、僕がよく知っている歌。
クラウドベリージャムの『Another moment follows』だ。
確か中学生の時に、誰かから教えてもらって――――――。
「私がジェニーなら、荘太はヨルゲン、禄郎はヘンリックよね」
クラウドベリージャムの、メンバーの名前。
スコップが何か硬いものにぶつかる音が、僕にはその時、確かに聞こえた。
「あ・・・・・・」
「ほらほらほら」
少女がツインテールを、プラプラと揺らす。
ジグソーパズルが、一片一片、組み立てられていくように。
記憶が、甦る。
「ひっ・・・!!」
僕は突然、素っ頓狂な声を上げた。
この娘の正体を、完全に思い出したからだ。
残念ながら答は、前者だった。
「一二美・・・・・・!?」
「よかったぁ、思い出してくれて。じゃなきゃ私、歌まで歌って、ただのバカじゃない?」
一二美はホッとしたように笑うと、髪からぱっと手を離した。
艶のある黒髪が、さらさらと流れて元の位置へと戻っていく。
どうやら、大正解だったようだ。
「久しぶりね、荘太」
僕はしばらく、一二美から目を離せなかった。
可憐がキョトンとしたまま、僕たちの様子を窺っているのが分かった。
第13話に続く
あとがき
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
前回の後書きで書きたいことは書いてしまったので、実は何も書く事がありません。
そういう時はもう、短く終えてしまいましょう。本編の駄文が長かったことですしね(死)
次の話もお付き合いいただけたら、大変嬉しいです。それでは。
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