∞螺旋[ムゲンラセン]
白キ天使ノ紅キ殺人
[日常]
T 12.23.06.55
「……夢を見た気がする」
それも、嫌な夢を。
少年は、虚空を掴むように伸ばした自分の手のひらを見た。嫌な汗をかいているようだった。
助けを望む手か、それとも――
もっとも、嫌な夢を見た、とは言うものの、その内容ははっきりしない。深い深い闇の色が、なぜだか心に強く残っているぐらいなもので、その闇以外、これといって覚えてはいない。
少年はゆっくりと身を起こし、辺りを見回した。寝る前と変わらぬ自分の部屋が、視界に飛び込んだ。
(悪い事が起きなければいいけどな……)
自分にも、自分の妹たちにも生まれつきの不幸が宿っている。これ以上のことは、勘弁こうむりたい、といつも少年は切に願う。
少年の名は、紫城鷹人[むらさぎ たかと]。歳は十七。身長は同世代では平均か、それより少し低め。体重は軽め。名のごとく鷹のような鋭い雰囲気――をもっているではなく、むしろ、鳩のような、平和の象徴といったほうがいいか。彼の、まるで鷹というよりも鳩のような優しげ目が、それを示している。そしてまさに、その通りの性格だった。
鷹人は時計を見た。長針はちょうど12を指し、短いほうは7だ。
あぁ、こんな時間か、と大きく欠伸をしてから少年はベッドから降り、クローゼットから制服を取り出し、それに着替え始める。
身をきる寒さに体を震わせて、ふと、窓の外に目をやる。
「うぅむ――、実に、憂鬱な空だなぁ。嘆かわしい」
やたら年寄りくさいセリフを吐いた鷹人の目に飛び込んできたのは、黒に近い灰色で埋め尽くされた空。
嫌な夢を意識してしまってか、どうも、気分はブルーだ。まるで、この空のように、気持ちは晴れない。
しかし、それにしても寒い。雪でも降るかもしれない。
「また、雪かきの季節か……」
今でも鮮明に覚えているあの重労働を思い出して、鷹人はさらに気持ちが沈んだ。
この屋敷には全員合わせて14人住んでいるのだが、驚くなかれ、彼には妹が12人もいる。
妹に雪かきをさせるわけにもいかないので、残りの2人(鷹人も含まれる)で、延々と屋根に積もった雪を下ろしていったのだ。
しかも、ようやくおわったときに、再び空を灰色の雲が覆って――
まさに悪夢。
腕が重度の筋肉痛になる、というオプションつきだ。
去年も、その前の年も――ここに移ってから毎年、大いに苦しんだ。
窓の外をぼんやりながめ、さらに憂鬱になった気持ちを吐き出すように溜息をついて、制服のネクタイを締め終えたとき、
ばンっ!
「お兄様っ! 朝よっ!」
ゴんッ。
朝だから何なんだ、などと突っ込む暇もなく、背中に衝激があった。後ろから伸びてきた腕が、鷹人の前で結ばれる。
朝から黄昏の面持ちだった彼を朝っぱらから急襲してきたのは、咲耶。彼の妹の1人だ。
既に制服姿に着替えている咲耶は、なんとも嬉しそうな表情をして、鷹人に抱きついている。
よろめいて窓ガラスの桟に頭を打ち付けた鷹人はそこに手を這わせながら、町を歩いて十人とすれ違ったらその大半が振り向くだろう、と友人たちに言わしめた自分の妹を振り向く。
すれ違う男達にとって不幸なのは、彼女の瞳にはいつも鷹人しか映っていないことだろう。
鷹人にとって、それは困惑することのひとつにすぎないのだが。
「……咲耶、いつも言ってる気がするんだけどさ」
「なぁに、お兄様」
「部屋に入るときはノックしてくれ」
「お兄様ったら、照れちゃって。それにいつも言ってる気がするんだけど」
「……なにかな、咲耶」
返答を予期しつつも、鷹人はあえて応えた。
「男の人は細かいことは気にしないのよ?」
(……全然細かいとは思えない、ともいつもいってるんだけどな)
だが何を言っても無駄だということを鷹人は経験から知っていたので、はぁ、と鷹人は溜息をつくだけであった。
わが妹ながら、朝から元気なことだ。
「――それはともかくとして、この腕を離してくれない?」
「あら、ダメに決まってるじゃない」
なんでダメって決まってるんだ、鷹人はそう言いたかったが、何とか押しとどめた。
咲耶はなにやら考えて、
「……うーん、でも、そうね、優しい優しい咲耶ちゃんは、お兄様が『僕の大好きな咲耶ちゃんにお目覚めのキッス』、をしてくれたら、離してあげないこともないわよ」
「この状態じゃ出来ないから、ぜひ、一度手を離すべきだと思う」
「それもそうね」
鷹人の言葉で、あっさり咲耶が手を離した。
思ったとおり、と鷹人は、咲耶の手が届かない範囲へひょいっと逃げた。
(わが妹ながら、単純かな)
「あー、お兄様!」
「まぁそういうこともある」
「ないわよっ!」
憤慨している咲耶を前に、鷹人はどうやってこの場を脱出しようか、と考える。
手持ちのアイテムはない。目の前には強敵。
結論―――勝ち目ゼロ。
その様子を見てか、咲耶が口を開きかけた。ちょうどそのとき。
鷹人にとっては、援軍が開きっぱなしだったドアの向こうから姿を見せた。
「鷹人様、おはようございます」
鷹人を除けば、唯一の男である神威陽月[かむい ようげつ]だ。
なんというか年齢不詳の男だ。
60歳を越えている、という話だが、170かそれ以上あると思える背筋はピシッと伸びて、衰えを微塵にも感じさせない。十分50代で通用する。
いつも柔和そうな表情だが、鷹人は彼の眼が、鷹のような眼光を放つときがあるときを知っている。
この家の執事は、そうでなくては務まらぬ事情がある。
「お食事の用意が出来上がりましたので、お呼びに上がりました。……咲耶様もいらっしゃいましたか。いつもながら、仲がよろしい」
そう言って、老獪な執事はその顔に笑みを湛えた。
「ありがとう、陽月さん。さっ、咲耶、いこうか」
「もぅ、すぐそうやって話を逸らすんだから」
咲耶は頬を膨らませたが、怒った様子はない。この屋敷で見られる、普遍的な光景だ。
「今朝は、白雪様が早起きなさったので、おつくりになられました。少々……食べごたえがありますな」
「そうですね。いつも、張り切りすぎちゃうみたいで」
笑って言う陽月に、鷹人は丁寧に返した。
いかに彼をこちらが雇っていてとしても、その彼の人となりには、敬意を払わざるをえない。
彼はそれほどの人間である、と鷹人は思っている。
そのおかげで、この年配の執事と上手くやっているのだから。
むろん、上手くやっていっている理由はそれだけではないが――
U 12.23.06.55
規則正しい穏やかな寝息が、その部屋に響いている。
寝息以外に音はなく、実に静かな空間だ。
寝息の主は可憐な少女。布団をはねていたりするが、天使の寝顔の御前である、その点は見なかったことにしよう。
少女の名は、四葉、紫城四葉。名の通り、彼女も紫城鷹人の妹の1人である。
彼女は今にもベッドから落ちそうだった。今落ちていない方が不思議、というぐらいの姿勢だ。
いや、正確にいえば、既に彼女の下半身はベッドの上にはなく、床が直接支えている。
「……はっ!」
そして、今にも上半身も落ちようかという瞬間、突然、四葉の瞳が開いた。
がばっと飛び起き、周囲を見回す。が、がばっと飛び起きたせいでバランスを崩し、その小ぶりなお尻を床にぶつけた。
「イタタ……」
若干痛む自分のお尻を擦りながら、彼女は立ち上がった。
カーテンを広げ、ついでに窓を開いて、外を眺める。冷たい風と憂鬱な曇り空が四葉の部屋に入ってきた。
「今日の天気は――、台風が1つ、しかも竜巻と吹雪を伴う、とチェキよ!」
……これは、四葉が推理の練習と称し、毎朝行っていることだ。彼女曰く、天気を予報することは、推理力を高める訓練になる……らしい。
ちなみに、あたったことは無論、ない。
四葉は満足した表情で窓を閉めると、乱れた掛け布団には無頓着で、彼女のクローゼットから自らの制服を取り出した。
ぱさり、ぱさり、とパジャマが床に落ちて、彼女の白い肌がまだ薄暗い部屋の中でよく映えた。
「……くしゅんっ!」
下着姿ではやはり寒い。
四葉はこれまた素早く制服を身につけ、学校指定のセーターをその上に被ると、やっと人心地ついたように、ふぅー、吐息を吐き出した。といっても、暖房の効いてないその部屋は、それだけではまだ寒いのだが。
この屋敷では、暖房は広間以外は七時を回らないとつかないことになっているのだ。そのスイッチを入れるのは、陽月の役目である。
ふと、四葉の目に時計がうつる。
「ただ今の時間は――七時デスね」
誰に言うまでもなく、ポツリと四葉は洩らした。と、暖房の起動音がした。
兄チャマ、もう起きてるかな?
彼女の趣味は、『兄』を調査――いや『チェキ』すること。
どこをどう間違えたか、それともそれがよかったのか、彼女は探偵にあこがれている。
最初は『ホームズ』とか『ルパン』だったのだが、近頃は『東京タブロイド』とかも読むようになってしまって、兄チャマは少し哀しい、と鷹人が先日ぼやいていたり、いなかったりする。
鷹人の彼女に関する一番の心配事は、『リョーキチェキデス!』なんて四葉が言い出すことだとか。
ともあれ、四葉は制服に着替え終えたので、早速兄を『チェキ』しに部屋を出ようとした。
そのとき、隣の部屋から音がするのを聞いた。
「むむむ……なにかな?」
耳を澄ませば、それが何かの電子音であることが分かった。
おそらくは、目覚し時計。
「なるほど……花穂ちゃん、今日も起きないみたい」
花穂というのは、彼女の姉妹の名。字のごとく花を愛でる優しい心を持った少女だ。
何が四葉になるほどと言わしめたのか分かりはしないが、それはともかくとして、近頃、花穂は目覚し時計で起きることができない。
寒さのせいであるとは思うが――せめて目覚ましだけは止めてほしい、と四葉はいつも思った。あと、次の日が休みの日のときにまでしばしば目覚ましをセットすることも止めてくれないかなぁ。
自分の目覚ましはそうとも感じないが、人の目覚ましに限ってやたらうるさい気がするもの。もちろん、そうでなければ目覚まし時計とはいえないのだが。
とにかく、その目覚まし時計はずっと鳴り続けるタイプのものだったので、誰かが止めなければいけない。
それが近頃は、隣の部屋主である四葉の仕事であったわけだ。
四葉は自分の学校用のカバンにさまざまなもの無雑作にを放り込むと、『もぅ、花穂ちゃんはしょーがないデスねっ!』などとぶつぶつ呟きつつそれを持って、通路に出た。もちろん、愛用のルーペを手に携えて、だ。
廊下は暖房が効いていて暖かかった。
四葉の部屋は三階なのだが、この屋敷は一階の広間、それと廊下の上が吹き抜けになっている。だから、広間を暖めると、部屋以外のすべての部分が暖かくなる、というわけだ。
四葉は隣のほうに歩きかけて、それで反対側から、誰かがこちらに歩いてくるのに気付いた。
鞠絵だ。
彼女もまた、鷹人の妹の1人。読書が趣味で、頭は切れる。病気がちで臥せりがちであったが、近頃はだいぶよくなってきたようだ。
既に準備は出ているようで、右手には鞄を、左手には一冊の本が抱えられている。
「グッモーニンッ、鞠絵ちゃん!」
「おはようございます、四葉ちゃん」
「早速チェキだケド、そのご本は……?」
「えっ? これですか? ……これは、月の満ち欠けに関するの本です。昨日の夜から読み出したら、つい読み耽ってしまって……まだ、半分以上残っているんですけどね。今日中に読むつもりです」
「ふーん」
特に関心がなかったので、四葉は気のない返事を返した。
(みすてりだったらキョウミあるケドなー)
そのとき階下で、兄の声が聞こえた。そのおかげで、四葉は花穂を起こそうとしていたことに気がついたのだが、兄の声を聞いたとたん、どうしても早く兄をチェキしたくなってしまった。
ここは、鞠絵ちゃんに任せるしかないデス♪
「……鞠絵ちゃん、お願いがあるんだケド」
「なんですか?」
「エヘヘ……四葉の代わりに花穂ちゃんを起こしておいてほしいの」
「えぇ、構いませんよ」
「ありがとーデス! では、四葉は早速兄チャマをチェキしてくるのデス!」
言うなり、四葉は踵を返して、兄の声のした方に駆け出した。
そんな四葉を見て、鞠絵は、元気を分けてもらいましたから、と呟いてから、花穂のドアをノックした。
V 12.23.07.13
「兄チャマぁ――! チェキー?」
突然、どたどたどたっ、と廊下を走る音が響いたかと思うと、鷹人の背中に再び衝激が走った。
「きゃぁ!」
「うぉ! おは、よう、四、葉」
悲鳴から察するに、どうやら四葉の足がもつれたらしい。鷹人は、全身全霊を傾けて、全身のバランスを保った。階段を下ろうとするところだったので、彼が踏ん張らなければ、2人とも落ちていただろう。
「よ、四葉、今度からは階段で体当たりするのは止めてくれない……かな?」
「うゥ、ゼンショしマス……」
「四葉ちゃん、気をつけてね」
うなだれた四葉の背を、咲耶が叩いた。
そうやって階段をおりているときに、さらに後ろから人影が。
「お兄ちゃん、おはようござ……きゃっ!」
「うわぁ〜〜!」「チェキ〜〜!」「きゃぁ〜!」
新たに出現した鷹人の妹、可憐はさらに間が悪いことに階段を降りている途中で足をもつらせてしまったらしい。可憐という、落下する運動エネルギーが、容赦なく鷹人たちにぶつかっていく。
当然、それに抗えるはずもなく……
……鷹人、四葉、咲耶、可憐の4人は、四者四様の声を上げながら一体となって、階段から転げ落ちる。
その様子を眺めていた陽月が、ふぅ、と溜息をついて、苦笑いを浮かべてぼそりというのも、この屋敷でよく見かける光景に違いない。まぁ、見かけるのはいつも陽月である。彼はこの屋敷に仕えてから、一度たりとも巻き込まれたことはない。
鷹人曰く、『あの人、後ろにも目がついてるんだよ』とのこと。
「ほんとに、仲がいいことですな」
――この騒動のせいで、鷹人は大変慌しく家から出る羽目になった。そしてそのせいで、彼はあるニュースを聞き逃した。
彼にとってさして重要なニュースではなかったが、彼らを取り巻く人間たちはひどく動揺した。
『……ただ今入りました臨時ニュースです! 今日、午前7:30ごろ、昨晩から行方不明になっていた地居屋惟路さんの遺体が発見されました! 心臓を、鋭利な刃物で切り裂かれていることから、警察は他殺と断定、目下捜査中ということです。凶器は、発見されていません。
続いてのニュースも殺人事件の臨時ニュースで……』
地居屋惟路とは、鷹人の学校の教師で、いや……教師だった。