トップへ  SSの部屋へ


幼なじみが事故で死んだと連絡を受けたのは
今朝のことだった。
僕はその日の昼には大学のある東京から
実家の静岡へ帰ってきていた。――――――


通学路

作者:いちたかさん


幼い頃、彼女とよく遊んだ裏山からは、街の姿が一望できた。
色とりどりの屋根。
昔とは比べ物にならないくらい、増えた。
小さなスーパー。幼稚園。高校。公園。
空と地面が出会う場所まで続く家並み。
少し目線を動かせば、遠くを新幹線が走る。
隠れて見えないけれど、この風景の先に海があることも、僕は知っている。

見えない海。
そこに、様々な大きさや形、色をした船が浮かんでいるのを想像してみる。
昔のような昂揚感は、湧きあがってはこなかった。

(ここにいても、仕方ない、か・・・・・・)

灰色の空が、肩に重くのしかかる。
まだ昼の3時だというのに、僕の吐く息は白を帯びて、すぐに風の中へ運ばれていく。
手を伸ばせば届きそうな程に近い空。
それが、こんな色をしているからだろうか。
支配されている街が、憐れなほどに寂しく、哀しい。



彼女の手を引いて、毎日のようにこの山を駆けていた頃、僕は、この風景が好きでたまらなかった。
自分より大きい物達を見下ろす快感。
足を運んだことの無い、遥か彼方に見える世界。
支配感。冒険心。
この山に登るだけで、僕は、王にも勇者にもなれた。
『自分』のある、絶対的な世界。

そして、それを失う時は、必ずやって来る。
僕が『少年』ではなくなった時。
正確な時期は分からない。
ただ世界が広がって、僕が多くのことを学んでゆく度―――――――、
僕は、『少年』を捨てていったのだと思う。
ある時ふと、この山から見下ろす風景が僕に懐かしさを抱かせてから、僕はこの山に登ることをやめた。
淋しさや、懐かしさに支配される心。
思い出が壊れていくようで、たまらなく嫌だった。
じゃあ何故今、僕はここにいるのか。

(バカげてる)

自嘲したくなった。
何を期待したんだろう。
結局ここには、何も無かった。
後悔するだけだったのに。
センチメンタルに浸りたかったから?
それこそ、バカげてる。

「・・・通夜、7時からだっけか・・・・・・」

かぶりを振って、もと来た道を歩き出す。
静かに眠る彼女に対し、僕はどんな言葉をかければよいのだろう。
考えるだけで、首筋がザワザワとした。
枯れた木々も、ハゲた山肌ももう御免だった。
乾いた風の声と、土の坂道を踏みしだく自分の足音だけが、耳元で鳴り続けた。

――――――チリンッ

鈴の音が、聞こえたような気がした。

「タイチ」

それは、もう二度とこの世界に生まれ出でることの無い、声だった。

「・・・・・・あ・・・・・・」

体中の血が、凍りつくような錯覚を覚えた。
死んだはずの彼女が、変わらぬ笑顔で僕の前に立っていた。

「久しぶりだね、タイチ」

少し茶色い、セミロングの髪。大きな瞳。薄い唇。
小首を傾げる仕草が、昔を思い出させる。
僕をびっくりさせた後、彼女は必ずこうやって優しく微笑んで、小さな声で「ゴメンね」って言うんだ。

「ねぇ、少し歩こ?」

「え?」

呆気に取られた僕の気持ちを知ってか知らずか、彼女は自分の指を僕のそれへと絡ませる。

「小学校に、行く道」

灰色の世界に映える、彼女の肌。笑顔。
透き通るように白くて、本当に綺麗だ。
僕は彼女に引かれるままに、小学校までの通学路を歩くことにした。










(この道、こんなに細かったっけ)

背の低い木の葉が、うっとおしい。
道幅1メートル弱の、コンクリートで舗装された細く長い道。
両側に密集した木々が太陽の光を遮り、晴れた日でもここは薄暗かった。
小さい頃はそれが不気味で、2人して声を上げながら、まとわりつく恐怖から逃げるように駆け抜けた。

「いつ、帰ってきたの?」

「つい、さっきさ」

君が死んだって、聞かされたから。
冗談でも、口にはしたくなかった。

「あ、そうなんだ。どの位こっちにいるの?」

彼女が何気なく僕の手を強く、握り直した。
身を裂く冷たい風の中にあって、彼女と繋がる手の平だけが、熱を感じていられた。

「・・・2・3日位かな」

「ふーん・・・・・・短いんだね」

「・・・まぁね」

脳裏にふと、精一杯背伸びして手を振る彼女の姿。

――――――タイチ、バイバイ。また明日ね。

小学校からの帰り道、僕達が共有した通学路はこの道までだった。
だから今でも僕は、この道があまり好きになれないでいる。
彼女と一緒に帰ることが無くなってからも。
僕は、心のどこかで彼女に向かって手を、振り続けていた。

『バイバイ』という言葉の響きは、どこか切なさを帯びている。
そう感じるようになったのは、つい最近のことだ。

「タイチがちっとも帰って来ないのよって、おばさん淋しそうにしてたよ」

「ウチのおばさん、そんなこと言ってたんだ」

「あれ、ひどいなァ。自分のお母さんのこと、そんな風に言って」

「だってもう事実、おばさんだし」

「親は大切にしなさい」

諭すような口調だった。
時々お姉さんぶるクセが変わっていないのが可笑しくて、僕の顔の緊張はあっという間に解けていった。
視界も徐々に広がり始める。
このまま道なりに進んで行くと、やがてピンクの建物が目の前に現れる。
僕も彼女も通った、幼稚園だ。
休日でも開放されているため、中の広場から、子供達の甲高い声が届いてくる。
15年前は、僕達の声があの中に混ざっていたのだろう。

(――――――この道)

でも僕はそれ以上に、忘れられない思い出を抱いていた。

「そういえばね、知ってる? チカちゃんがね、結婚するんだよ」

「へぇ・・・、そうなんだ。何か、全然実感湧かないなぁ」

「私ね、式、呼ばれてるんだ」

そう言って彼女はようやく、僕達を結ぶ指の鎖を解く。

中学の卒業式の日、
この道で、僕は彼女に告白をした。
返事をすることなく、彼女は走り去ってしまったが、
それ以来、彼女と話をすることも無かった。―――――――――

「チィちゃん」

あの時ほど、後悔したことは無かったな。

「・・・・・・なぁに?」

彼女の歩みが速くなっていたのか、僕が遅くなっていたのかは分からない。
僕が彼女を昔の愛称で呼んだ時、彼女は僕の2・3歩先を歩いていた。
振り返った彼女の先で、夕日が赤く横たわる。

「・・・・・・んーん。・・・何でもない」

・・・・・・どうかしてる。
答を聞いたって、何も変わりはしないのに。
彼女はまるで、僕が何を言いたかったのか分かっているかのように、じっと僕を見つめていた。
それから少し、首を傾げて、

「・・・変なの」

可笑しそうに微笑んで、言った。

「ごめん・・・・・・」

彼女の笑顔に、救われたような気がした。



けれどもそこで、僕達の会話は止まってしまった。
僕は彼女の顔を見れないでいた。
彼女も同じだった。
さっきまでの明るさは丸っきり影を潜めてしまって、黙って僕と、並んで歩き続ける。
僕は元々、そんなに話が上手い方じゃない。
言葉を探しながら、でも、このままでもいいような気もしていた。
僕達はもう、昔の僕達とは違うのだから。



その内に徐々に、耳に忙しいエンジン音が届くようになる。
今、歩いている道の先に国道が走っていて、ここからでも車の流れが見通せた。
その国道の下のトンネルをくぐって少し歩くと、左手に長く緩い下り坂が広がる。
坂の向こうには、小学校。僕達の目的地がある。
途中僕達の横を、何台かの車がすり抜けていった。
そういえば、ここからは車がよく通るんだった。

「・・・タイチ、東京は・・・楽しい?」

不意に彼女が口を開いた。
灯りは点いていたけれど、トンネルの中はそれでも暗くて、表情までは窺うことが出来なかった。

「・・・・・・分からない」

少し考えて、口から出た言葉がそれだった。
東京に行けば、環境も、自分も、友人も、全てが変わって、新しい生き方が出来ると思っていた。
刺激が欲しかった。
だから、東京を選んだ。
そしてそこで、求めていたものを手に入れることが出来た。
刺激があって、便利で、自由な生活。
でも、それだけだ。

「・・・じゃあ、ここは? この街はどうだった?」

それも、分からない。
成長するにつれ、僕は、この街に不満を抱くようになっていった。
変わらない日常。不自由な生活。錆びていく街。
僕は退屈なこの街を捨てて、都会の空気を求めた。

(でも、この街には)

トンネルを抜ける。
視界に光が溢れる。
その時僕は初めて、彼女の頬を伝う涙に気付いた。

「もうすぐ、学校だね」

「・・・・・・。うん」

強がりのような彼女の言葉に、僕はそう返すしかなかった。
体の内側を襲う寒気が止まらない。
心にぽっかりと開いた穴から、冷水を流し込まれているようだった。

彼女の涙が全ての答だ。
僕はそれに、気付いてしまった。
最後の道の前に立つ。緩やかな下り坂。
僕は意識的に足を速めて、彼女の前を歩くよう努める。

「・・・ありがとう、チィちゃん。一緒に歩けて、嬉しかった」

「私もね、・・・・・・ありがとう」

足音を。
彼女の存在を、感じる。

「本当はね、東京に行っても、楽しくなんてなかった。でも、ここにいてもきっと、同じだったと思う。
 友達もいて、なんとなく幸せな毎日を送るけれど、満足出来ないでいるんだよ」

分かってる。
寂しいのは街じゃない。僕自身なんだ。

「怖がって、逃げて、何かのせいにしてるんだ、いつも」

この街には、君がいたのに。
君がいるこの街を、僕は好きだったのに。

「それでもね、自分のやってきた事に、後悔はしたくないって、思える。だからきっと、
 東京に行ったのは僕にとって、価値のあることなんだ」

告白したことも。
僕が本当に欲しかったのは、君だけだったんだ。
一緒にいる時の笑顔が、一番好きだったから。

「チィちゃんは、どうだった?」

無意識に歩調が早まる。自分の足音が、鼓動が、膨らんでゆく。
振り返ることは、出来なかった。
もうちょっとでいいから。
僕のつまらない話に、耳を傾けていて欲しかった。

「僕と一緒にいて、楽しかった? 一緒に遊んだ、思い出は残った?」

心の底にある、最後の希望。
彼女は生きていて、今、僕と通学路を歩いている。
そんな訳無いじゃないか。
僕は見ていた。あの山の頂から。
僕と、彼女の家の距離を。
彼女の家の前に並ぶ、黒の列を。

「・・・僕はね、君に会えて、良かった。本当に」

鈴の音が、聞こえた。
センチメンタルでも、何でもいい。
僕は君にもう一度、会いたかったんだ。

「だから、チィちゃん」

歩みを止める。ゆっくりと、後ろを振り返る。

(・・・ずっと、一緒にいよう)

分かってたんだ。

彼女は、僕の願いを聞き届けてくれた、最後の幻。

遠く先まで続く、上り坂。
体中から力が、どっと抜けていった。
灰色の空を見上げ、一つ大きく息をついた。
時間にして、10分弱。
僕達の、最後の通学路。
しばらくの間、彼女の面影を追った。

今だけは。

――――――チリンッ

風に乗って、彼女の声が聞こえたような気がした。

(大丈夫。自分の行き方に満足出来るように、生きてみせるから)

「バイバイ、チィちゃん」






小学校は、もう目の前だ。
とりあえず、下駄箱までは行ってみようと思う。
きっとそこには、靴を履き替え笑顔で駆け出してくる、僕と彼女がいるはずだから。





『通学路』終






あとがき


管理人さま、1万ヒット、おめでとうございます。
こんなものしかご提供できませんが、少しでもお役に立てましたら、本当に嬉しく思います。
月並みながら、これからもこのHPのより一層の発展を願ってやみません。
最後に、オリジナル小説という分野ながら、最後まで目を通して頂いて、本当にありがとうございました。


いちたかさんへの感想はこのアドレスへ
to-show@k6.dion.ne.jp

トップへ  SSの部屋へ